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TEATRO LA GUZZI <1>

映画で出会えるモトグッチ 1(連載10回予定)
 
当劇場ではモトグッチが登場しているイタリア映画をご紹介しています。一部イタリアを舞台にした外国映画なども含まれています。画面をサッと横切るモトグッチを探して、イタリア映画を観てみませんか?
 
ざっとですが、以下のように分類してご紹介していこうと思います
 
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グルッポ アー (Gruppo A)主人公とからんでいるか、登場時間が多い
 
グルッポ ビ (Gruppo B)短いがそれなりにしっかりと写っている
 
グルッポ チ (Gruppo C)ほんの一瞬だけ
 
アルトリ(Altri)その他番外
 
あくまでモトグッチを中心にご紹介していきますので、イタリア映画論みたいな内容には期待しないでくださいませ!!なお、たぶんに個人的感想に基づくものであること、また若干のネタバレが含まれることをご理解くださいませ!! massi
 
Dscf0185.jpg
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★グルッポアーから、ちょっとせつないこの映画

「明日を夢見て」 (L'uomo delle stelle) 1995伊
   ASIN: B00LHCVTGY
   EAN: 4933672243818

監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
出演 セルジオ・カステリット、テッツィアーナ・ロダート

1950年代のシチリア。撮影機材を車に積んだジョー(セルジオ・カステリット)は、映画の新人オーデイションだとして1500リラの手数料で人々を撮りながら島中を周っていた。彼の前に明日を夢見る少女、孤児のベアータ(テッツィアーナ・ロダート)があらわれる。

冒頭、真っ赤な車体にフィッシュテールマフラーはGTVかアイローネだろうか。また広場でジョーの言う事に驚き立ち止まる人々。GTVサイドカーも慌ててエンジンを切ってしまう。他の場面でも数機種。自転車屋の前で修理する姿も。


★グルッポビーからは、コミカルなこの映画

「カサノヴァ 70」 (Casanova 70) 1965伊
   ASIN: B00005HBEX

監督 マリオ・モニチェッリ
出演 マルチェッロ・マストロヤンニ、ヴィルナ・リージ

変わった性癖を持つNATO軍少佐アンドレア(マルチェッロ・マストロヤンニ)が次々にトラブルを引き起こす、艶笑コメデイ。

シチリアに赴任したアンドレアが、娘に手を出して追われる。追っているのはアイローネか?。シリンダーヘッドは1948以降のカバードタイプのようだが、ガーターフォークを付けている。4人乗りで走って自動車に激突する。他に軍用車両も登場する。


★グルッポチからは、珍しい車種が見られるこの映画

「ミラノの奇蹟」 (Miracolo a Milano) 1950伊
   ASIN: B000TLYCTU
   EAN: 4988182110181

監督 ヴィットーリオ・デ・シーカ
出演 フランチェスコ・ゴリザーノ、エンマ・グラマーテイカ

ミラノ郊外のキャベツ畑でおばあさん(エンマ・グラマーテイカ)に拾われて、孤児院で育った人の良いトト(フランチェスコ・ゴリザーノ)。貧しい人々と共に生活を始める。土地の所有者は私兵を繰り出して立ち退きを迫るが、トトは奇蹟を起こし始める。

第2部以降。私兵が乗るアンダーガード付きの単気筒。アイローネかひょっとするとアイローネ・ミリターレかも。小さく白煙を残して走るモトレジェッラ65の姿は貴重。ミラノ市街、信号待ちでニュートラルを出してる姿もモトグッチ?


★アルトリからはとても楽しいこの映画

「踊れトスカーナ」 (Il Ciclone) 1998伊
   ASIN: B0009Y29DS
   EAN: 4959241943262

監督 レオナルド・ピエラッチョーニ
出演 レオナルド・ピエラッチョーニ、ロレーナ・フォルテーザ

フィレンツェ近郊のレヴァンテ(レオナルド・ピエラッチョーニ)の家にカテリーナ(ロレーナ・フォルテーザ)らフラメンコダンサー達がやって来て、田舎町は大騒ぎになる。レヴァンテの足として出てくる愛車モトベカーンの運命と共に事の顛末を描く、笑えて楽しい映画。
 
 
 
 
PS:なにかしら画像も用意しようかと思いましたが、ぜひスクリーン上でモトグッチを探していただきたく、テキストのみでご紹介させていただきます
 
mas
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イヴァノ・ベッジオとグッチスタ

80th Moto Guzzi Day

この時期は毎年、マンデッロ・デル・ラーリオで9月に開催されるGMG(モトグッチ・ディ)の詳報が届いて、行く年であれば飛行機や宿の手配を始めたり、そわそわと楽しい時分なのです。昨年は待ちに待ったモトグッチ90周年のイベントがあったのですが、ご存知のように大震災が起きてしまい、それが原因で自粛したからというよりも、気が乗らないまま準備を進めることもできず夏が来て、いつのまにやら時間切れという感じで参加を見送ってしまいました。
なにしろ9月のイベントに合わせて宿を抑えるなら春には済ませておかないと間に合わないのです。マンデッロ周辺はおろか、元々ホテルが多いレッコ湖コモ湖の各地も予約でいっぱいになってしまいます。一度はどうしても部屋がとれずに、ギリギリになってイタリアのクラブが押さえていた部屋を融通してもらったこともありました。

5年ぶりに、そして5年前から当然のごとく行くつもりだった90周年イベントに行けなかったので、今までの訪問をとても懐かしく思い出してしまいます。私の場合はなんといっても自分のカリフォルニアで参加した2001年の80周年モトグッチ・ディがとりわけ懐かしいのです。
そのころのモトグッチはレッコの湖面に浮かんで波間に揺れる1枚の鷲の羽根。ようやくアプリリアのオーナー、イヴァノ・ベッジオ氏の手によって拾い上げられたところでした。

2001年からさかのぼること5年前、1996年のモトグッチ75周年イベントで壇上にいたのは、当時の大株主企業フィンプロジェッティから派遣されていたDr.アルフォルノ・ザッキでした。イベントの雰囲気はいかにも田舎町での大パーティという感じで、であるがゆえに初参加の日本人でさえもグッチスタであるというだけで迎え入れられ、それはそれはホーム感たっぷりなものだったのです。だからこそ私は自分のカリフォルニアでの再訪を決意して5年間を準備しつつ待っていたわけですが、この96年から01年までの間はモトグッチを巡って目まぐるしく様々なニュースが飛び交う時期になったのでした。
ちなみにこの96年以前もモトグッチは「SEIMM MOTO GUZZI S.p.A.」、デ・トマソ傘下だった頃の「GBM」、そして再び「MOTO GUZZI S.p.A.」と社名や経営形態はさまざまに移り変わってきてはいたのですが、当時まだ私も含め多くの日本のグッチスタはそのような本国の事情にはあまり興味なしという状況だったのではないでしょうか。

さて96年に戻ります。まずアメリカの投資グループによる大きな資本投下があり、一方3年間社長を務めたDr.ザッキは退任しました。その後、元アプリリア重役のオスカー・チェキナート氏が就任。すぐにモンツァのフィリップスの工場を買い取ってそこに移転するというプランが明るみになってマンデッロに激震が走りました。
モンツァ移転話が無事に頓挫したあとは、ビモータを買収するとかKTMに買収されるとか様々な噂が世界中のグッチスティをやきもきとさせていたのですが、これにひとまず決着がついたのが2000年の春。ついに負債もろともアプリリア傘下に入ることになったのです。

当時、年間生産台数が5000台ほどだったモトグッチに比べ、当時のアプリリアは確かに勢いのあるメーカーでしたが、エンジン開発能力はまだまだだったのではないかと想像します。この買収は単なる救済ではありません。表面的には見えにくいモトグッチの技術力の蓄積に目をつけたのではないでしょうか。
のちのちの様子を見ると、マンデッロのメンテナンスエリアでポリス仕様が施されたアプリリア車両が置かれたりしていて、そういった艤装などの多様なノウハウや官へのパイプまで同時に手に入れたとしたら安い買い物だと感心したものでした。



Beggio & Todero

80周年モトグッチ・ディでは、当時波に乗っていたベッジオ氏(写真左黒ジャンパーの人物、中央スーツの人物はウンベルト・トデーロ技師)は超ゴキゲンで、学者然としていたDr.ザッキのたたずまいとは好対照でした。イベントの壇上ではマイクをとってグッチスタ達を盛り上げ、壇から降りれば皆の求めに応じてサインをしたりツーショット写真を撮ったり忙しかったのでした。もう時効だと思って書きますが、当時生え抜きのモトグッチの社員間では「そんなにサインが好きなら1回500リラとって商売にすればいいんだ」とソフトに陰口も囁かれていました。(ちなみに当時、街のバールで飲むエスプレッソがだいたい1500リラくらいでした)
まあ、売却された側の気分としてはそんな反感も仕方ないでしょう。とあるイタリアのモトグッチ・クラブがモトグッチ・ディに参加するために作ったTシャツには以下のようにプリントされていました。
「モトグッチ イズ ラグジュアリー ブランド オブ アプリリア」
この言葉を胸にマンデッロの街を練り歩いていたのです・・・・・まさに悔しさと自負のあらわれ。実はモトグッチ・ディ会場でベッジオ氏とツーショット撮影させてもらって喜んでいた私は内心「これぞ本国のグッチスタか・・・」と舌を巻き、日本に帰ってきたのでした。

ただ、その前後の様子を見るに付け、イタリア本国のグッチスタ達の敵対感情はやや先走りすぎていたような気がしてなりません。まず、ベッジオ氏は1年の間にマンデッロの工場を進化させていました。部品工場には新しい工作機械が並び、組み立てラインも一新されました。大量の工作機械の入れ替えはかなりの設備投資になります。またそれまで写植するように活字を並べて打っていたフレームやエンジンナンバーですが、こちらもコンピューター制御のレーザー印字を使い始めました。



il stabilimento

もっともこういったことについても、モトグッチの旧来の人間の中には
「今までの設備でもオートバイは造れていたじゃないか」
と考える向きもあったかも知れません。
長い歴史のなかで、膨大な技術の蓄積がなされ、設計面でかなり成熟して、まさに玄人ウケならするオートバイ造りを続けてきていたのと同様に、経営面でもある意味達観のような状態に達していたようです。
「モトグッチは年間5000台売れればいいメーカーだ。良い年でも10000台には届かないだろう」
と明言する重役もいたのですから。

このことを私は「達観」と書きましたが、人によっては
「だからモトグッチは身売りしなきゃならなくなるんだ」
と言うかもしれません。ただ念のため書きますが、これは決して
「どうせ5000台しか売れない」
という諦観などではなく、多くのメーカーがひしめく中で自分達の位置を正しく見据えるのと同時に、拡大路線とシェア争いの行き着く先を知っているからこそ言えたのではないかと思います。

思いはさまざま・・・・・しかしながらベッジオ氏後、V11シリーズによってニュースが多い状況を演出しましたし、新しいデザインのアパレル・ラインナップも発売されたりしました。こうした表面的な部分だけ見てもモトグッチの活性化に貢献したことは間違いありません。
そして最も懸念されていたのではないかと思われるモトグッチブランドの取り扱いですが、この点ベッジオ氏はグッチスタ達の気持ちというものを先んじて理解していたような気がします。モトグッチに限らずオートバイファンならきっと少なからず抱いてるメーカー愛に水をぶっ掛けるようなことはなく、グッチスタの前ではアプリリアのアの字も出さなかったのでした。
モトグッチを傘下におさめて君臨する征服者のように見られていたイヴァノ・ベッジオ氏・・・・・実は彼自身がモトグッチへの憧れを持っていたとしても不思議はありません。彼がアプリリアの社長になり、モペッドや小排気量モトクロッサーを作り始めた60年代の終盤に、モトグッチはあのV7を発売しました。アプリリアから見ればモトグッチはレースでの栄光を冠したはるか先を行く巨大メーカーだったのですから。
もちろん経営者として、純粋に救済のためにお金を施すようなことはなし得ません。ただ敬意あればこそ、新オーナーでありながらモトグッチ愛を身にまとっていたように思えて仕方ありません。





あとがき的に・・・・

冒頭「この時期・・・」とありますが、実は書き始めたのは4月ころでした。思い出し思い出し取りとめも無く書くものですからたったこれだけのものに時間がかかってしまいました。
イヴァノ・ベッジオ氏については、その後経営難に陥り、創業の父親から引き継いだアプリリアを彼自身が去らねばならなくなったこともあっていくらか同情的に見てしまっているかもしれません。

「モトグッチは年間5000台売れればいいメーカー・・・・」
というスタンスは気分としては大いに同調するところですが、私共モトグッチリパラーレはモトグッチでのみ仕事をさせていただいているので、モトグッチ・ユーザーはやはり増えて頂かなくてはなりません。
モトグッチには強い個性があります。ゆえにモトグッチに選ばれるライダーは限られているのかもしれません。要はウマが合うかどうか。だからどうかじっくり、余分な情報に惑わされずに、何も足さず何も引かずに乗ってみてください。感覚にはライダーそれぞれの経験値も反映されるのです。またどんな趣味でも同じですが何かを始めるとき、いきなりネット情報のごとく行動・体感できるはずもありません。モトグッチに乗るという人生・文化・・・・・それは長く乗って初めて生じる、自分で積み上げてゆくものなのですから。



mas

verso sera
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虎徹

私は小説はたまに歴史小説を好んで読みますが幕末はすっかり手薄でありまして、たとえば人気者の坂本竜馬について書かれたものは読んだことを思い出せないくらいです。それでも手薄とはいいながら、幾度も読み返すのが司馬遼太郎の「峠」であり、たまに拾い読みする「新撰組血風録」があるのです。
新撰組血風録のなかで司馬遼太郎は近藤勇の佩刀、長曽祢虎徹入道興里(ながそねこてつにゅうどうおきさと1596〜1678)作、通称「虎徹」(こてつ)について書いているのですが、「見たら贋物と思え」と言われるこの刀については諸説紛々、司馬遼太郎が採用した説によれば近藤勇の佩刀は源清麿(幕末の刀工)の刀を虎徹だと信じこまされたものとしています。

さて、長曽祢虎徹入道興里についてはウィキペディアでもご覧いただくとしてその作品である虎徹のほうですが、新撰組血風録では虎徹のことを評して
「姿(なり)こそわるい。しかしその鋭利なことは、平安、鎌倉の古鍛冶でもおよぶものはすくない」と、また
「最初のひと目がわるく、一種の不快感をおこさせる。が、身辺に永くおけばおくほどその姿がおちついて来、ついにはこれこそぬきさしならぬ姿だ、とまで惚れこませる力をもっている・・ ・」と書いています。

さらに、とある大旗本に注文された虎徹を届けたところその見た目があまり喜ばれなかったので 、虎徹入道は庭にとびおり松の大枝をサクリと斬り、勢いあまって枝の下にあった石灯籠に数セ ンチ切りこみながら刃こぼれひとつせず、大旗本は怖れ、無礼を謝して刀を納めた。これを石灯籠切と呼ぶ、というエピソ ードも紹介しています。

私がなにより気に入ったのはこの虎徹評でした。
初見はわるい、がじきに抜き差しならぬ姿だと見惚れるようになり、そして斬れる。
これはモトグッチと同じではないか!!と。



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なんでもモトグッチにつなげて考えるのは悪いクセでしょうか。どうぞ笑ってやってください。
そういえばモトグッチをスコッチウィスキーのモルト(原酒)のひとつであるラフロイグにたとえた方がいらっしゃいまして、なかなかうまい事をおっしゃるなあと思ったものです。ラフロイグは初めて口にすると一瞬「えっ、これはウィスキー!?」と思わせるほどに独特の香り(俗に薬品臭などと言います)が強いのです。そこをモトグッチが個性的であることに重ねられたのでしょう。

・・・・・が、ネットで調べていましたらドカテイをラフロイグにたとえて語る方もいらっしゃるようです。モトグッチとドカテイがラフロイグで競合してしまうならば私が交通整理してみましょう。硬質でシャープなイメージのドカテイはハードな口当たりのタリスカ、モトグッチはラフロイグと同じアイラ島産で同様に強い個性を持っている、スモーキーフレーバーが特徴のアードベックというところではいかがでしょう。ラフロイグはもちろん好きですが、あれほどにモトグッチは奇でしょうか?
おっととと、奥が深いスコッチのことを安易に書くと後難が恐ろしいのでほどほどにしておきましょう。お口直しにムゼオ・モトグッチ、モトグッチ本社の博物館に掲げられているポスターをご覧ください 。



ポスター

どうでしょう?なかなか洒落たポスターだと思いませんか?ただ、さまざまな異論も聞こえてきそうです。それはドカテイでは?とか、いやむしろグッチはマセラーティーが・・・とか、あるいはフィアットだろう!とか?

こんな論争で遊ぶのも楽しいものです。ただしそれは気の合った相手とだけにしておくべきでしょう。本来こんなことはそれぞれが好き勝手に思いこんでいればよいことなのですから。そもそもなにをもって、どこに注視してオートバイを評価するかは人それぞれなのですから。そもそもそれぞれの経験値が異なれば、測りをあてる角度が上からであったり下からであったりとまちまちなのですから。

ちなみに日本のグッチスタは日本でのモトグッチのシェアから見ても、あえて書きますが、いずれ「ひとくせある」ライダー として分類されるべきなのかもしれません。シェアが少ないのはモトグッチに乗るに至らないなにかしらの障壁、たとえば性能・価格・外観・悪評?(たとえばアフターサービスが悪いなどの?)、どんな理由かそれはわかりませんが障壁があるはずで、私たちはそれらを乗り越えてしまった、あるいは感じなかった面々なのですから。
そういう意味では・・・・・・・・先の「初見はわるい」というのは見た目の好みであったり、一般に慣れぬ乗り味であったりを大きく捉えて書いたつもりですが、そんな障壁をいつのまにか乗り越えて、すでにモトグッチとともに人生を歩んできてしまっているグッチスタからすれば「初見がわるい」と言われても「そういえばそうだったかなあ?」というほどのものでしかないはずです。

こう書いてしまうとモトグッチはやはり奇なるものであって、それを受け入れたグッチスタもまた奇なり、その他の多くのライダーにモトグッチは受け入れられないということになってしまいそうです。ただそこから先が芸術作品と、乗り物や道具(芸術性・神秘性があるにせよ)との違いなのです。先の石灯籠切虎徹のエピソード同様、「使えば斬れる」からです。第一印象が悪くても、使い込むとそれが徐々に変わってゆく・・・・・斬れるようになるまで時間を要するかもしれませんが。



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さあ、虎徹のことを置き忘れていました。

この記事を書く前に虎徹の話を持ち出した際、志賀がすぐに「今宵の虎徹は血に飢えている」というセリフを口にしたのです。映画かなにかで有名なセリフらしいのですが、出典が正確にわかりません。私にはまったく記憶がありませんので少なくとも私が物心つく前の作品だとすると

1928年「新撰組隊長近藤勇」 近藤勇役 阪東妻三郎
1954年「新撰組鬼隊長」 近藤勇役 片岡千恵蔵
1963年「新選組血風録 近藤勇」 近藤勇役 市川右太衛門
1965年「新選組血風録」(テレビドラマ) 近藤勇役 舟橋元

などがあるようです。
「今宵の虎徹は血に飢えている」などと臭いセリフを言ったのは誰?・・・・・・志賀は片岡知恵蔵あたりでは?という記憶だそうです。いずれにせよ司馬遼太郎の「新選組血風録」が原作であればそんな芝居がかったセリフは馴染まないような気がしますので前2作ではないでしょうか。

でも・・・・・・・ちょっと待ってください。モトグッチに「開けろ開けろ!!」と言われたことはありませんか?高速道路で「戻すな戻すな!!」とけしかけられたことは?そして巡航速度が少しづつ上がってゆく・・・・・・・・・血に飢えているのはモトグッチなのでしょうか!?
「血に飢えて」はフザケすぎだとしても、ここまで来たら本物の虎徹を見ないでは済まなくなりました。



刀剣博物館

いろいろ調べると京王線初台駅近くに刀剣博物館があり、5日からの新春名刀展の展示リストに虎徹があるではないですか。そこで年明けて5日、さっそく行ってまいりました。

入り口すぐに国宝の鎌倉期の古刀が据えられ、そこから数々の刀が年代順に並べられています。順に見ていくと映画「魔界転生」でその名を覚えた「村正」があるのを見つけました。徳川将軍家に仇なす妖刀というのは伝説に過ぎないのかどうかわかりませんが、あの村正です。ーー以下、私は刀剣鑑賞についての素養がないことをご承知のうえお読みくださいーー見ると刃文がゆるやかに波打ち、スラリとした姿いかにもカタナ!という印象に、わかりもしないのに「さすが村正」などと心中思ってみたりしつつ、これを基準に虎徹と比べてみるのもよさそうです。

さらに歩を進め一本一本ゆっくり見ていくと、奥の展示棚に異彩を放つ刀が待っていました。虎徹です。よくみるとその先にも虎徹がずらり、全展示32振り中7振りの虎徹が展示されていたのです。下調べしたホームページにはそのようには書いてなかったのですが、なんとこの新春名刀展では寅年にちなんで虎徹を大きく扱っているということなのです。
さて異彩というのは刃文。新撰組血風録にも描かれている数珠刃というその刃文は、小さな目玉が無数に並んでいてこちらを見据えているかのよう。数珠刃という名のみを知っていて現物を知らない私がみてもすぐにそれとわかるほどのものだったのです。最初に視界に入った万治4年(1661)作のひと振りの刃文がもっとも顕著で、あとのほうに並ぶ延宝2年(1674)のものはなだらかに抑え目な乱れとなっていました。

歩みもどって他の刀と比較してみます。すぐにわかるのは反りが村正や、村正に同じ室町時代の作で名も知れている備前長船などと比べて浅いこと。そして幅があること。これらはどうも時代の特徴のようで、虎徹と同時代のものは同様に反りが浅く、切先(帽子と呼ぶそうです)短く、やや先細りながらも手元近くは幅のあるどっしりした姿です。これは永い戦乱ののちにできあがったかたちなのでしょうか。最後の大規模戦闘であった島原の乱(1638)から23年経っているとはいえまだ戦士の生き残りもいたことでしょうし。
ただこの比較では新撰組血風録にあるような「最初のひと目がわるく、一種の不快感をおこさせる。」という虎徹像は見えてきませんでした。その時代に刀の所有階級として生き、前後の流行や使い心地まで体験したうえでないとその不快感というものはわからないのかもしれません。

しかしおかしなことにその「長曽祢興里虎徹入道」と銘のある数珠刃の刀を見たあとは、最初に「これぞ日本刀」と思わせた「村正」をはじめ他の国宝や重文クラスも色あせて見えるのです。すでに虎徹にひいき目たっぷりな心持ちに至っていることは否めませんが・・・・・・決して血に飢えているようには見えず、ほれぼれするような美しさという感触でもなく、なぜオマエはそういう姿なのだ?と見つめずにはいられない・・・・このことなのでしょうか。しかしながら、こうしたアクの強いものを好むへそ曲がりな私の感性がいっぽうで「素晴らしきモトグッチ」と言わせているだけだとは認めたくないものです。

なぜならモトグッチの在りようは必然の積み重ねであり、競争の中でむりやり独自性を出さんとしたり奇をてらったりした結果のものではないからです。もちろんデザイン面でも同様にV10チェンタウロがそうであったように最初は「うっ!これはどうだろう!?」と思わせたものが、ある瞬間、ある角度からふと見たときに「これか!!」と気づかさせる美しさを持っているのです。
まあそれでも世界の大メーカーが4社もひしめく日本にいながらモトグッチを選択するグッチスタははたから見ればやはりどこかしら「ひとくせある」ということになるのでしょう。言わせていただくならば日本のグッチスタは「奇」というよりは「稀」。稀(まれ)なる眼識を持つ人々であり、また最初はモトグッチのあれこれを識しらずに乗り始める人々(私がそうでした)は稀なる幸運の持ち主なのです。
そしてモトグッチは「奇」というより「綺」にして「驥」(き)なる、美しきたくましき相棒です。たまに血を欲する(!?)茶目っ気を見せますが、そんなところも私たちをとらえて離さないのです。

ことしの干支の寅にかけたつもりはなかったのですが、おまけに私は鷲の子の一人のつもりですから虎にはシンパシーを感じないのですが、不思議とこの年末年始は頭から「虎」の一字が離れませんでした。しかし今年も鷲年のつもりで我田引水、なんでもかんでもモトグッチに結びつけて考えてゆこうと思っております。



mas
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最後の一滴はどこで? <3>

benzina

ちょっと確認ですが、いま進めている話は憂うべき質が違う2つの問題に絡んでいます。ひとつに資源枯渇、もうひとつは地球環境破壊。資源が尽きて人類の文明生活に終焉がきても地球の他の生物は困りませんが、同時に進行する環境破壊は地球上全体に影響するという点で質が異なるのです。
実際、何億年ものあいだ誰も手をつけなかった化石燃料をここ200年ほどでガンガン掘ってバンバン燃やしています。それでは環境が激変するのも無理ありません。私たちはダルマ落としをしているようなもの。いまひとつひとつダルマ落としの輪を打って減らしています。そして上空はるか、まだぼんやりとしか見えないダルマはすでに太陽に照らされて焼け始めているのです。輪が尽きる前にダルマが焼けおちるかも知れません。

これを突きつめてゆくなら、少なくとも交通に関して言えば究極のエコロジーは歩いての移動、せいぜい決められたルート上を大規模輸送によっての移動に限られて、趣味でオートバイに乗るなどトンデモないということで結論となってしまいます。ですから私はこの先を書き進めるうえで意思表明しておかないとならないことがあります。それは“モトグッチに乗り続けたい”ということ。
これはエコどころか人間ならではのエゴに過ぎないのですが、ただ生活しているだけでそこに彩りがないのは辛いもの。私の場合、整備を生業としていることと同時にモトグッチに乗るのは重要なことのひとつなのです。
皆さんはいかがですか?


“モトグッチに乗り続けるために”、ただ乗り続けたいと言うだけではなくそれなりの行動が必要でしょう。
モトグッチオーナーズクラブのメンバーでアイドリングストップを実践されている方がいらっしゃいます。
かくいう私はかつては、東京の路線バスがアイドリングストップを始めたころですが否定派でした。再始動のたびに始動増量分も燃やすからです。「再始動のたびにスモークを吐き出してなにがエコだ」と思っていたものです。ですが現在路線バスとして供給される新車にはすべてに自動アイドリングストップ機構が装備されるようになりました。実際本当にどれほどの効果があるのでしょうか。

「始動時増加分燃料はアイドリング5秒分と同量」(2000ccAT車の場合、財団法人省エネルギーセンター調べ)

つまり5秒以上のアイドリングストップはエコだと考えてよいということになります。オートバイでの参考データが見つけられなかったのですが上記データから想像しても、赤になったばかりの信号待ちでならじゅうぶんに効果があると考えてよさそうです。

ですが現時点ではモトグッチリパラーレとしてはアイドリングストップを全面的にはお奨めできません。現行車両はアイドリングストップを想定した設計がされていないため不調につながる可能性が大きいのです。再始動の回数が増えるとセルモーター内のマグネットスイッチの接点の性能低下が早まるからです。最初の方に電気モーターは低回転ほど高トルクと書きましたが、同時に流れる電流も大きいためスタータースイッチを押した瞬間、接点に大電流が流れるので回数が多い分だけ早まるのです。
あとは短時間しか乗らないのにアイドリングストップを繰り返すと当然バッテリーの消耗が早まります。そして再始動の判断・動作が遅いと渋滞の原因にもなります。渋滞すれば他車のアイドリング時間が増えるのです。ですから信号待ちなどで先頭に出たときはあえて消極的にするのもよいかも知れません。

“全面的にお奨めできない”としたのは、セルモーターの不具合は深刻な場合でなければ回復が可能でその整備費用など、バッテリーと走行状況との兼ね合い、現場での判断、これらを総合的に考えてスマートに実践していただけるのなら問題ないからです。
またもう少し手前の段階で、“最初の始動時の長すぎる暖機を避ける” “マスツーリングで全員準備できていないのに個々がせっかちにエンジンをかけない” “音を聞くためだけにエンジンをかけない”などできることがあります。ちょっと頑張って“モトグッチに乗るとき以外はなるべく公共交通機関や自転車などを使う” “他の分野でこころがける”ということもできます。



だいぶ前のことですが、やはり“ガソリンがなくなったら”というような話をしていたときに、志賀が「仮にいつか尽きるとしても最後のガソリンはモトグッチのエンジンのなかで燃えるから大丈夫」と言ったのです。それは「そんな先のことを心配しても仕方ない」からとあしらうような雰囲気ではなくどこか確信に満ちた言い方だったのが私には驚きでした。
その石油残量については以前よりさまざまな予測が発表されてやきもきさせられていますが、諸説あるなかに無機成因論というのがあります。これは地球内部の化石化したものではない炭素(炭化水素)が地表近くに滲み出てくるというもので、ゆえにちょっとやそっとでは枯渇しないという有難い説なのです。生物の遺骸が堆積してできたとは言い難いほど超深度の地層に油田があったり、一度涸れた油田がしばらく経つと復活する点もこの説で説明可能になるのだそうです。

仮にガソリンが尽きないとしても温暖化を止めるにはエコ的生活・エコ的社会への移行は不可欠です。そのエコ的社会のひとつにとてもとても小さく挙げられているのが大都市での二輪活用なのです。消費燃料減量、渋滞緩和、駐車場確保、どれをとっても合理的な乗り物なのに「二輪こそエコだ」という声は小さくしか聞こえてきません。ヨーロッパの大都市では二輪が優遇されていて、ロンドンやミラノ中心部には駐輪可能なエリアがあちらこちらに指定されているというのに日本ではインフラ整備もせずに路上駐輪の取り締まり強化に走りました。

このまま行くとなにかの必要に迫られたときに真っ先に制限を受けるのは市民権を得ないままのオートバイになりそうです。そのときには合理的な評価ではなくそれまでの在りかたや地位が問われるでしょう。単なるコドモの遊びなら要らないだろう、と。そうしてみるとユーザーに対してオモチャ化ばかり助長せずに生活環境や自然環境への配慮など啓蒙していけるのか、周囲へ存在価値を将来アピールしていけるのか、情報を・商品を提供する側がいつまでも知らぬ顔をしているのはよくないですね。

最後に、先の「最後のガソリンはモトグッチのエンジンのなかで燃えるから」という志賀の言ですが、鈍な私はすぐには飲み込めず、少し経ってから「そうか!」と理解しました。ありがちに見える答えなので「なあんだ」と言ってしまえる人もいらっしゃるでしょうが、実はそれが何かが出来上がってゆく上で最も大事な要素なのです。ここでは宿題として筆を置きますが、言葉にはならずともモトグッチに乗り続けている多くのみなさんが答えをお持ちのはずです。

(3/3)  mas

最後の一滴はどこで? <2>

gomito

さて、そのマグネシウム燃料はどれだけクリーンだというのでしょう。
まずマグネシウムは海水から抽出できるので資源量としてはぼう大(約1800兆トン)なのです。マグネシウム抽出のプロセスは、海水を熱濃縮→塩化マグネシウム→脱水→電解精製→マグネシウムで、途中の塩化マグネシウムとは豆腐作りに欠かせない“にがり”のことです。この一連の作業に太陽光エネルギーを利用すればCO2を排出しません。そしてマグネシウムエンジンの循環は以下のようになります。

↓マグネシウム + 水
↓水素ガスと熱が放出され、水素ガスも燃やして熱利用する

これを書きかえると


Mg + H2O → MgO + H2 + 86kcal
             ↓     ↓
             ↓     H2 + O2 (1/2) → H2O + 58kcal
             MgO

となり、合計144kcal(三菱商事HPより)の熱エネルギーが取り出せたのちに酸化マグネシウムが残るだけなのです。介在するのは水素・酸素・水だけでおかしな化合物も発生しません。
ただし、これではまだクリーンな循環は完成していません。残された酸化マグネシウムを、照射すると20000度に達するという太陽光レーザーで結合を解いて酸素とマグネシウムに戻し、再び燃料にするための研究が進んでいて千歳で実験プラントが活動を始めているのです。

↓マグネシウム + 水
↓水素ガスと熱が放出され、水素ガスも燃やして熱利用する
↓残った酸化マグネシウムを酸素とマグネシウムに分解する
↓マグネシウムは再び燃料になる



Mg + H2O → MgO + H2 
             ↓     ↓
             ↓     H2 + O2 (1/2) → H2O 
             MgO (2MgO) → 2Mg + O2

これでクリーンな循環の完成。MAGICエンジンも太陽光励起レーザーも東京工業大学の矢部孝教授のもとで研究が進められています。ご興味のある方は調べてみてください。


ところで「マグネシウムは化石燃料のかわりにエンジンのなかで燃やせる」と先に書きましたが、残念ながら従来のエンジンで、もちろんモトグッチのエンジンでそのまま燃やせるわけではありません。
「結局ガソリンが尽きればモトグッチに乗り続けられないんじゃないか!?」
なんでモトグッチ屋がそんな話をするんだ!しかも旧型専門なのに」
ごもっともです、いや!モトグッチリパラーレは旧型専門ではありませんが!!ただ、実際にいま自動車業界を取り巻くニュースはこのようなことだらけです。レースの結果よりも新型ハイブリッド車のニュースが大きく取り上げられる時代になったのです。

そんななかで二輪車に向けられる眼も厳しくなりました。たとえば自動車のHC排出量のうち、実に20%が二輪車によるものだったのです。(これにはわけがあって、一般に四輪車より高性能が求められる二輪車は、実際にはパワーピークよりずっと低い回転域で運転することが多いので、当然ながら不完全燃焼が起きてHC排出量が増えるのです。)ですから2007年8月に施行された「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」では、二輪車の排ガス規制が強化されました。251cc超の輸入車の場合はCOとHCが従来より85%減、「85%まで削減」ではありませんよ!そしてNoxは50%減。これは現在世界で最も厳しい規制で、皆さんもご存知のようにモトグッチOHVは適合できず、2008年9月以降に輸入されても日本では登録できなくなりました。

実はいま、とあるお客様の850ルマンの整備をさせていただいております。“全て新車のように”というご要望なので現在バラバラになっていて、第一に使用可と確認されたクランクシャフト・クランクケース・フレーム以外は予防整備の部分も含めて必要に応じて交換していくことになります。アメリカで探してこられた850ルマン、部品が揃うのを待って置いていたところ、このお客様が先日「いずれガソリンが無くなっちゃうのなら、まだ整備途上なんだし電気モーターを組み込んでもいいんだけど」とおっしゃったのです。
さすがに面食らいましたが実はこの方は言葉遊びに終始するタイプではなく、なにかの実現のために可能性が・手段があるのなら労力を厭わない上、様々な情報に触れている方でもあるので、この方がそれだけの危機感を持たれるのならそれだけの材料があるのだろうと認識を新たにしたものです。

ちなみにこのルマンは部品もほぼ揃ったのでレシプロエンジンのまま(!)整備を進めております。




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最後の一滴はどこで? <1>

spiaggia

年に2回、房総半島の富浦という海辺の町を訪れています。そこでいつも走る小さな入り江の変化を前々から少しづつ感じてはいたのですが、この冬に見た光景は思わずハッとさせるものだったのです。
国道から浜に降りたのは昼前でちょうど満潮時付近だったようで、浜辺を通る小道にも波が迫っていました。ただ、いつも満潮時でさえ見えていた小磯の頭が見えなくなっているのです。地元の方に聞けばやはり潮位があがってきているそうで、ここ数年の間に波に洗われるようになってしまった道路や崩れかけた磯場の補修もしているとのことです。海をしじゅう見ていないとなかなか気づかないこと。海抜数メートルの小島でなくとも、地球温暖化の現実は身近にやってきていたのでした。


10月にはあのKTMが電気モーターサイクルのプロトタイプを発表しました。以前ヤマハがPassol(パッソル)という電動スクーターを販売していましたが、今回発表されたのはKTMらしくエンデューロタイプだったところがさすがですね。またホンダの福井社長の2008年末の記者会見でも2年後をめどに電動2輪車を市場投入するという話があったようです。

ちなみにトヨタのハイブリッドカー、プリウスは発進時には主に電気モーターが駆動しているのですが、その発進ダッシュはなかなか侮れないのです。そもそもハイブリッドカーに乗ろうかという方がアクセルべた踏みの加速などあまりされないのでそれが知れ渡ってないのでしょうが。
もともと電気モーターは低回転であるほど高トルクを発生するので(回転開始時に最高トルク発生)発進が鋭いのも納得なのですが、さあKTMのプロトタイプがどれほど走るのか興味津々です。パッソルもパワーモード(標準モードと2種類設定されていた)での加速はわりと速かったそうですし。極端な例ですが、慶応大と38の企業が共同開発したリチウムイオン電池カーELICAは8輪のホイールinモーターでグイグイと、300km/hを超えるのに40秒しかかからないそうです。
ただ、電気モーターサイクルはハイブリッド車のように発電しての電力補充が叶わないので、バッテリーの性能アップが発展の要になるのでしょうか。パッソルの場合は2.5時間の満充電で市街地走行航続距離は15〜20kmでした(メーカー発表)。


ところで電気モーターサイクルは動力源が電気である以上、その供給源が気になるところです。単純に化石燃料を燃やして発電するならCO2削減という環境目標からすれば元の木阿弥というもの。ただひとつ付け加えておくとモーターサイクルはHC(炭化水素)の排出量がズバ抜けて高いので、直接ガソリンを燃やして走るよりは火力発電所で発電した電力を使うのは減衰のロスなどデメリットを抜きにすればエコロジーだと言えるかもしれません。
また現在日本の発電量の30%ほどを占める原子力発電は、まだ運転制御や廃棄物の部分に不安を感じるのですが、たとえば下の表

原子力   31%
石炭    26%
天然ガス  24%
石油    11%
水力     8%     (2005年数値、中部電力HPより)

にあるように依存度第1位のエネルギー源なので現実として否定できません。ただし、CO2を出さないとはいえ原子力はゼロエミッションでないことは明らかです。ゼロエミッション、つまり排出物質ゼロというエネルギー源には風力発電や太陽光発電など、上の表では数値が小さすぎて(約0.6%、2007年)省かれている新エネルギーが挙げられます。

・・・・・が、これらとはまったく異なる、つまり化石燃料のかわりにエンジンの中で燃やせる新しい燃料の研究も進んでいます。ちょっと面白いので紹介しましょう。


その新エネルギーとはマグネシウムです。
ためしにマグネシウムをキーワードにネット検索してみると意外にもサプリメントに添加されたミネラルとしての記述が多かったのですが、私たちにはマグネシウム合金のエンジンカバーやレーシングホイールなどが身近なところでしょう。軽く強度があって工業製品として利用価値が高いマグネシウムは、熱量という点で見れば実は石炭レベルの高カロリー。いまもっともクリーンと思われるのは水素燃料電池車ですが、その水素と比較した場合一般的な700気圧のボンベに入れた水素と同じ体積ならマグネシウムの熱量は水素の10倍にもなるのです。

このマグネシウムを燃料とするエンジンは三菱商事と東京工業大学が共同研究し、小野電機製作所が製造協力にあたったもので、その名もMAGICエンジンといいます。magnesium injection cycle engineの略で2006年4月に発表されました。これはマグネシウムと水を反応させ、水素ガスの噴出圧で回転力を得る構造になっています。幼稚な例えで申し訳ないのですが、ヒモでぶら下げてクルクルと回る花火をイメージしていただければ・・・・・。花火は数ヶ所に火を点けて回しますが、MAGICエンジンの噴出孔は2ヶ所です。
実はこの1号機は直径50mm高さ135mmというカワイイもので、先にも書いたとおり水素ガスの噴出圧しか利用していないのですが、さらに反応熱を動力に転化したり発生した水素も燃料電池に利用したりとその後の研究が進んでいるに違いありません。




(1/3)  mas

GUZZI Tempo <4>

ここで避けて通ることのできない問題があります。それは同じイタリアの雄、ドカテイの存在。

モトグッチと同じ90度Vツインエンジンを積むドカテイ、果たしてモトグッチのように単調な走りをものともしない“何か”を発しているのか。いや、ドカテイの場合クルージングが楽しいとか得意などの話はあまり聞いたことがありません。もっともクルージング不得意というのはエンジンや各部位の操作性を見ると、その反応のよさが神経質な乗り味に繋がってしまって長いクルージングでは疲れが早くくるという面は否めないであろうし、それにモトグッチのようにしっかりした重量を持つ回転マスがクルージング中の車体の安定に寄与するというメリットも少ないという点もあるでしょう。
それより肝心なエンジンからの“何か”という点を考えてみると、同じエンジン形式であれば、燃焼間隔であれば、モトグッチのように心音と同じリズムを刻んでいるのは間違いないのです。ただし、その伝わり方と増幅効果に差違があるのではと。


ducati

燃焼のテンポが乗り手にいかにして伝わるか追ってみましょう。
BANG!燃焼室内で燃焼
→→パルスはピストンからコンロッドへ伝わり
   同時にシリンダーヘッドからシリンダーへ伝わり
→→コンロッドからクランクシャフトへ
→→クランクシャフトボスからクランクケースへ
   シリンダーからもクランクケースへ
→→クランクケースからフレームへ
→→フレームから車体構成各部へ
→→接触箇所を通じて乗り手へ

上記の流れのなかで特に注視したい要素がクランクシャフトとクランクケースです。どっしりと頑丈な一体式クランクシャフトが太い径を持つボスを通じて、剛性の高いドーム型クランクケースにパルスを伝える。だが果たして剛性が高いとパルスの伝導がいいのだろうか。少なくともよい音を響かせるには振動体に硬さあるいは張りが必要なのは確かです。クランクシャフトのボスも小さく、クランクケースはコンパクトに設計しボルト留めの左右分割にしたドカテイ (もっともドカテイのエンジンレイアウトでクランクケースにボリュームを持たせたら地面に接してしまいますが)。軽く速くというレーシーな発想からなるドカテイと、重くても丈夫にという実用の発想からなるモトグッチとの違いがここで出ました。


v-twin l-twin

そしてもうひとつがエンジンのレイアウトの違い。車体中心、と言うよりフレームマウント位置から見てパルスの発生源である燃焼室が左右に遠く張り出しているのがモトグッチ(クレードルフレーム・バックボーンフレームともに)で、マウント位置と並行して抱え込まれるように前後にあるのがドカテイ(ダイアモンドフレーム・トレリスフレームともに)です。モトグッチの場合、中心線から離れたところで発生したパルスは、あたかも音叉のように鳴動の自由があるエンジンに増幅されつつフレームに伝えられてゆくのでしょう。

これらがドカテイは持ち得ない、モトグッチが圧倒的に優位な条件なのです。せっかくの心音テンポのパルスを、ドカテイは残念なことに乗り手にしっかり伝える条件を満たしていなかったということになります。

これでもはや、この乗り手に訴えかけてくるエンジンの声はモトグッチ特有のものと考えてよいでしょう。これを“グッチ・テンポ”と名づけます。ちなみにtempoという英単語は馴染みのあるものでしょう。が、実はイタリア語を語源としています。スペルも同じtempoで、英語と同じ時間や間隔や拍子をあらわすほかに楽章やピストンの往復運動も意味し、また天候をさす言葉としてよく用いられます。Che bel tempo!なんていい天気なんだ! “テンポ”は芸術性に富んだ素敵な単語ですね。


cielo

意識上では気づかないほどにわずかな“1/f ゆらぎ”を人は感知し心地よさを感じる、ならば生体が持っているものと同じリズムを感知すれば、それも人は快感として感じるのではないか。“グッチ・テンポ”、自然物の持つゆらぎを心地よく感じ取るという“1/f ゆらぎ”と同様に、人間の心音と同じリズムを刻んでグッチストを至福のライデイングにいざなうのです。

さてその実態はどんなものかというと、1サイクル(2回転)に1回“グッチ・テンポ”が発生するのですから仮に5000rpmでクルージングしている場合は毎分2500回ということになります。毎秒だと41.6666・・・・回、さらに1回あたりにかかる時間は0.024秒。先の心音“ドックン”に重ね合わせると“ドッ”に0.009秒を、“クン”に0.015秒を費やしているのです。
「ほんとうにそんな短い時間のことを感じてるのか」
疑問はもっともです。ですが安心していただいて結構です。“1/f ゆらぎ”を紹介した際に“星のまたたき・火のゆらめき”にも“1/f ゆらぎ”があらわれていると触れましたが、それはスペクトル分析のうえでようやく確認できる複雑で微細なものなのです。そんな“ゆらぎ”を無意識下にせよ感知する私たちですから“グッチ・テンポ”を感知するのもたやすいことなのです。


lemans III

それにしても、モトグッチの心音と人間の心音がシンクロしていたなんて。そしてグッチスタはそれを気づかぬうちに感知してどんなシチュエーションでもモトグッチをうれしげに駆る。新型旧型を問わずに発生する“グッチ・テンポ”は全てのグッチスタを魅了するのです。そういえば糸口は高速巡航でしたが、“グッチ・テンポ”は回転数を選ばず発生している。どの回転域でも面白さを示すモトグッチの秘密はまさにこの“グッチ・テンポ”でもあったのでしょう。そしてこれは2気筒が好き4気筒が好きなどという単なる嗜好の問題に留まらない・・・・・なぜなら人間であれば必ず惹かれてしまうはずの“テンポ”なのですから。

どこだったか覚えていませんが、ある海外のモトグッチサイトにこんな文章がありました。「人間には2種類いる。モトグッチに乗っているか、乗っていないか」。 しかしいま、“グッチ・テンポ”が発見された以上、こう書き換えられねばならないのです。「人間には2種類いる。モトグッチを知ったか、まだ気づいていないか」

さあ、これをどう受け取るかはアナタ次第です。


guzzista

(4/4) mas

GUZZI Tempo <3>

さあそれでは、いよいよモトグッチのエンジンの動きに“1/f ゆらぎ“が存在しているかどうか、突き止めなければなりません。
機械の動きのなかに“1/f ゆらぎ”が発生することはあるのだろうか。“ゆらぐエンジン”・・・・・・・。おっと、ここで「イタ車は不完全な工業製品ゆえに“ゆらぐ”こともあるだろうさ」などと考えた方はいらっしゃいませんか。そういう古色蒼然たる発想しか持ち合わせていない方はまずここからご退席願いましょう(笑)。


manuale

冗談はさておき、エンジン・ゆらぎ・エンジン・ゆらぎ、とこの2点を突き合わせてみたらモトグッチエンジンの2つの気筒は不等間隔燃焼していることに思い当たります。4ストロークエンジンはクランクシャフト2回転でひとつのサイクルを営みます。つまり、クランクシャフトの回転角であらわすと720度になるのです。その燃焼の様子は、まず左のシリンダーが燃焼してから270度回って右シリンダーが燃焼し、一度左シリンダーを通過して450度回ったところで再び左シリンダーが燃焼する。勘違いされませんように、270度ー90度ー270度ー90度ではなく、270度ー450度ー270度ー450度というテンポで燃焼し、クランクシャフトを押し回しています。

並列エンジンの2気筒車・4気筒車・6気筒車やボクサーツインなど規則正しいテンポで燃焼を繰り返すエンジンに対して、新旧モトグッチに共通するエンジン形式、すなわち90度Vツインの不等間隔燃焼が“1/f ゆらぎ”であるなら、乗り手がそこに快感を感じ取っているのではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この想像はとてもエキサイテイングなものだったのですが、冷静に考えればこの不等間隔は“規則正しく不等間隔”なのであって“不規則にゆらぐ”こととは全く異なっていることであり、残念ながら先にあげた“1/f ゆらぎ”の定義のひとつ“発生を完全に予測できない”に当てはまらなかったのです。


fabbrica

困りました。ではモーターサイクルのエンジンに“1/f ゆらぎ”があらわれる可能性は微塵もないのでしょうか。先にあげた他の定義に“大量生産品や機械加工されたものには現れない”というものがあります。ただしこれはおもに生産品の外観を指していると思われます。ならばエンジンの作動のなかで不確実な要素・計算外の動きを探せば“1/f ゆらぎ”に結びつける余地があるのかも知れません。たとえばキャブレターのところで触れたジェットニードルの揺れは不規則な“ゆらぎ”と言えまいか。自然界を形成するもののひとつである“空気”の影響を受けた揺れだからです。そして重力や慣性力の影響を受けたガソリンの動きや、動作する機械に不可欠な“アソビ”の存在などなど。さらには、機械を、モーターサイクルを操るのは生体である人間なのです。アクセルワークに“ゆらぎ”があればエンジンの反応にも“ゆらぎ”が生じる可能性があるかも知れない。

ただしこれらはエンジン全般にいえることであって、またしても残念なことにモトグッチならではの快感発生源とはいえません。乗り物への“1/f ゆらぎ”理論の研究&フィードバックはメーカーにお任せして別の方向からモトグッチだけの“なにか”を再び探さねばなりません。でもここまで考えてきてモーターサイクリストは、人間は、すくなくとも“1/f ゆらぎ”のような微細な“ゆらぎ”を感じ取ることのできる生物なのだということはわかりました。


treno

“1/f ゆらぎ”との関連は見出せなかったものの、不等間隔燃焼をする90度Vツインであるということが新旧モトグッチに共通し、そして他者にない特徴であることには変わりありません。“不等間隔”が残されたキーワードになってきました。そこで生活のうちに不等間隔のリズムを探してみたのですが、これが意外とないものなんです。
踏み切り、“カン・カン・カン・カン”
脈拍、“トク・トク・トク・トク”
ウィンカー、“カチ・カチ・カチ・カチ”
あ、ウィンカーの作動が不等間隔だというあなたのモトグッチはリレーと電球が合っていませんよ(笑)

さて、モトグッチエンジンの脈動は音にするとどんな感じになるのでしょう。等間隔なら“360度ー360度ー360度ー360度”で“タン・タン・タン・タン”。“270度ー450度ー270度ー450度ー270度ー450度”ならば“タッタン・タッタン・タッタン”くらいでしょうか。「タッタン・タッタン・タッタン」と、口に出してみると・・・・・・・・・・・ひとつこれに似た音の存在に気づきました。


cuore

それは、心音です。
不等間隔で刻む心音のテンポ。これはどんなリズムなのか調べていたら面白いことがわかったのです。がその前に、脈拍は“トク・トク・トク・トク”なのに心音は“タッタン・タッタン・タッタン・タッタン”。心音は何の音なのか知っておかねばなりません。

心音はよく“ドックン”とも書かれますね。“タッタン”よりは“ドックン”のほうがイメージしやすいでしょう。さて“ドックン”は“ドッ”と“クン”の2つの音に分離されます。“ドッ”を飢擦函◆肇ン”を恐擦箸いい泙后飢擦録澗,亮縮が始まって動脈に血液が送り出されると同時に房室弁(心臓への入り口の弁)が閉まる音で、恐擦録澗,亮縮が終わって動脈弁(心臓からの出口の弁)が閉まる音なのです。このあと再び血液を房室弁から吸い込むために心臓の拡張が始まります。それで、飢擦鉢恐擦里△い世鮗縮期、恐擦鉢飢擦里△い世魍板ゴと呼びます。


guzzi

モトグッチの不等間隔燃焼に似ている心音のリズム。でも似ているといってもどれだけ似ているのか、それを目に見える数字の形にできるのだろうか。つまり収縮期と拡張期の比率がわかればありがたいと思っていたのですが、数値化の心配は杞憂に過ぎず、その答えは割りとあっさりと収縮期が約0.3秒、拡張期が約0.5秒、とわかったのです。これは心臓周期が約0.8秒である成人の平常脈拍時の数値です。ちなみに脈拍が速くなってゆくときは、収縮期はあまり短くならず拡張期が徐々に短くなってゆきます。

0.3秒と0.5秒、3:5の比率。
モトグッチの左右シリンダーの燃焼間隔270度と450度、は・・・・・・・3:5

なんと人間の心音と90度Vツインエンジンの脈動は同じタイミングだったのです。赤ん坊は母親の心音を聞くと安らぐときいたことがあります。ならば、心音と同じテンポのモトグッチ・エンジンこそが快感発生源だと考えられないでしょうか。



(続く 3/4) mas

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GUZZI Tempo <2>

仕事中流しっぱなしにしてあるラジオ文化放送の午前の番組で“えふぶんのいちゆらぎ”という耳慣れない言葉が聞こえてきて、最初はいったい何の話をしているのやらちんぷんかんぷんでした。


fuoco

その放送での内容は、注意して聞き始めたところから覚えている範囲でごくごく簡単に記すと「星のまたたき・火のゆらめきなど自然物のなかに“えふぶんのいちゆらぎ”が現れていて、人間(生物)はそのゆらぎがあるゆえにまたたき・ゆらめきを心地よく感じる。江戸小紋の模様も型を作る際に人間が引いた線には“えふぶんのいちゆらぎ”が現れているが定規や機械で引いた線にはそれが無く、見比べれば同じ柄でありながら人間が作ったもののほうに温かみを感じる。」というものだったのです。人間が心地よく感じる“ゆらぎ”なら・・・・・・モトグッチが隠し持つ楽しさの源にこの“ゆらぎ”が関わってはいまいだろうか。そう考えるようになったのです。

さてこの“1/f ゆらぎ”(えふぶんのいちゆらぎ)とは新しい言葉ではなく草分けであられる武者利光東京工業大学名誉教授が何十年も以前から研究されている現象なのです。以下に“1/f ゆらぎ”についていくつか箇条書きで記します。

*“1/f ”という法則を持つゆらぎが発見された
*“1/f ”とは振幅と周波数(frequency)が反比例しているということ
*生体の脳波から天体の運行まで自然界に普遍的に存在する
*発生のメカニズムは未解明でまた完全に予測はできない

*生体は人間に限らず動植物も“1/f ゆらぎ”に快適感を感じる
*手作りのものや音楽や声には“1/f ゆらぎ”が現れている
*大量生産品や機械加工されたものに“1/f ゆらぎ”は現れない
*街づくりや商品などに“1/f ゆらぎ”理論を生かすことが進んでいる

“1/f ゆらぎ”の特性、今まで確認できていること、いかにして測定&数値化しているかなど、調べていくと難しいながらも面白い話で溢れているのですが、素人が生半可に説明できないので、「なぜ」「どうやって」は置いておいて存在と効果について「そういうものなんだな」と認識だけしてください。なお効果について先の江戸小紋の例からの発展で連想してみるなら、CGアニメーションと手書きアニメーションの差を思い浮かべます。生き物を描いたとき、精巧で立体的に表現できるCGはリアルなのに冷たく、むしろ平面的でマンガ的な手書きアニメのほうが描かれているものの表情が生きて見えませんか。それにしても、プロがフリーハンドで引く線は素人には真似のできないほど真っ直ぐなのに、定規で引いた線と比べてみればやはり違うというところが面白い。相当に直線であるのに正確にはまだ直線ではなくて、見れば違いがある・・・・・・でもなんとなくわかります。“味”があるといいますか。私たちはよく「味がある」という表現をしますが、ひょっとするとその“味”というのは“1/f ゆらぎ”を指していたのかも知れません。


carburatore

“味”という表現はシチュエーションによって微妙にニュアンスが異なるとしても、ここまで使ってきた“面白さ” “楽しさ”に置き換えてよいでしょう。先の新旧モデルの話でも「面白い面白くないってなにが」と問われても漠として答えを絞りにくいかも知れませんが、“味”というキーワードを加えれば表現に具体性が出てきて、モーターサイクリスト同士でよく交わされるフレーズが思い出されます。たとえばですが、「スポークホイールには味がある」「空冷エンジンは味がある」「キャブレター車は味がある」など。そう、今まで話を進めてきて「キャブレターには味があるけどインジェクションには味が無いなあ」と連想を進めた方は多くいらっしゃるかもしれません。この稿は新旧を問わずモトグッチが発している楽しさを探し求めているのでキャブレターとインジェクションの差を論じる必要はないのですが、いずれ機械であるモトグッチに“ゆらぎ”があるのかという部分を考えてゆくのにヒントになるかもしれず、また「キャブレター車が好き」という言葉はメーカー問わず聞かれるセリフでもあるので、この“味”という曖昧でありながら皆が好きな表現にちょっぴりメスを入れておくのも必要なことかもしれません。

「キャブレター車のほうが好き」。これは電子制御化が進んでゆくなかで、もともと機械好きなモーターサイクリスト達の郷愁だと簡単に片付けるわけにはいかないでしょう。キャブレターには味がある、キャブレターのほうがクセがあって面白い、と言うだけの違いがインジェクションとの間にあるはずです。2者の乗り味の違いを単純に考えれば、それはスムーズさだと言えるでしょう。もっともモトグッチで言えばキャブレター車であった旧ルマン・シリーズと現行モデル達との間には20年近くの歳月が流れているので、インジェクション車の走りがスムーズでエンジンの反応が素早いといっても、それは燃料供給以外にもフライホイールやクランクシャフトが軽量化されているうえにピストン等を含めたバランシングも精度があげられているであろうことなど、一点を原因として語れない要素が存在します。細かい仕様変更など、メーカーは数値発表などせずに黙っていろんなことをやっていてユーザーが気づかぬうちに改良されているものなのです。そのあたりを一応確認しておいて、話をキャブレターとインジェクションに戻します。


fabbrica

四輪車に比べれば少しお粗末なモーターサイクルのインジェクション・システムですが、それでも細やかなマッピングでキャブレターでは実現できない燃料調整をしているのですから、スムーズでないわけがありません。ただ残念ながら排ガス規制に縛られているのでスムーズなだけでなく、乗り味としてはおとなしめなものにならざるを得ないようです。ちなみにモトグッチの場合は空冷2バルブで気筒あたりの排気量は500cc超なのです。ガスを絞ったために起こる力不足は排気量のアップで補いたい。かといってボアの広がった燃焼室内で不完全燃焼が起きれば排ガスも汚れるのです。そんなモトグッチが厳しいユーロ3規格をクリアしていることでも基本設計の卓抜さが知れるところです。

そしてインジェクションに比べてキャブレターの場合は、アトマイザーの通路の面積とジェットニードルの断面積の差、つまり2者の隙間を変化させることによってガソリンの流量をコントロールしているわけですが、エンジンによっては、いくつか用意されているジェットニードルの形状ではカバーし切れないトルクカーブのよどみができてしまったり、加速時には加速ポンプなど補助装置があるものの走行状況によっては補正しきれない苦しい場面も生じてしまったり。そして、吸入空気の方はスロットルバルブの底辺の形状からどうしても半円の形でベンチュリーの面積を増減させるしかありませんので、そこで乱流が生じて、また変化する負圧のなかでジェットニードルが揺さぶられたりすれば燃調も計算外の影響を受けはしまいか。結局のところ、そういった微細な変化が生じたときに乗り手は雑味を感じ取ってキャブレターの味わいとして表現するかも知れませんし、トルクカーブの凹凸をエンジンのクセとして面白みに感じているのでしょう。


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“味”の話ついでに再び脱線を許してもらって書かずにはいられないのが、“味”と“不調”を混同される方の存在です。たとえば左右のシリンダーの同調が狂っていると加速初期の振動が大きく出てそれを“力強さ”もしくは“モトグッチ特有の味”と勘違いされるのです。きちんと動くようになったら「つまらなくなった」と・・・。また、古きイタ車生活の味わいとして“始動困難さ”やら“しじゅうプラグチェック&そうじ”をおっしゃる方もいますが、少なくとも70年代後半以降のモトグッチであるなら、それらは単なる不調のあらわれに他なりません。




(続く 2/4) mas
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GUZZI Tempo <1>

motoguzzi
 

モトグッチは楽しい。乗っていて楽しくてしょうがない。だからこそ20年も乗り続けているようなグッチスタが周囲にたくさんいて、人それぞれにそれぞれの車歴があってさまざまな思いいれをもってモトグッチに乗っている。でも大きく見て、いったいなにがどう楽しいのだろうかとふと考えることがあります。モーターサイクルの楽しさを言うときに、高速道路をトバす・峠でトバす・オフロードを走る・さわやかな風景の中を走る・日本中を巡る・キャンプツーリングする、などこれらは手段としての楽しさ。ほかには、姿を愛でる・塗装や改造を試みる・磨く・誰かに語る(笑)、など興味の対象または素材としての楽しさもあるでしょう。ただそこにはまだモトグッチでなければならないという理由がないのです。 
 
モトグッチならではの良さってなんだろう。モトグッチに乗っている方のなかからは独特のカタチやメーカーの持つヒストリーに惚れ込んで、ひょっとしたら真っ赤なイタリアンがかっこいいから乗っているんだという声もあがるかもしれませんが、まあここでは乗った上での楽しさという部分にテーマを絞っていきましょう。
 
一般によく言われてきたモトグッチの特徴は低回転でのトルクリアクションや加速時のテールリフト、低速トルクと背中を押すような加速感、それに回転上昇とともに収束してゆく振動など。これらの現象を楽しいというのは、つまりモトグッチが示す特徴に面白みを感じているということでしょう。それぞれエンジン形式・配置とシャフトドライブとフライホイールの重量などから生み出される特徴です。乗ったうえでの楽しさという面では低速トルクや加速感や振動収束はいいとしても、残念ながら他にあげられた車体の挙動については一瞬だけの付随的な現象という印象しか持てません。それに低速トルクに関してもモトグッチのよく語られる特徴のひとつではありますが最大の魅力とはいえず、むしろそれはずるずる走る重ったるいモーターサイクルというイメージを先行させがちです。低回転での使用を前提とするなら高回転時において最もバランスのよい90度Vツインという選択はないのです。それはさておきここで問題となってくるのは、これらの特徴がモデルが新しくなるとともに薄れてきているという点です。


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旧型モトグッチ、といっても本当に古いモトグッチは第二次大戦ころから走り続けているので、一応分類をしておかないとまずいでしょう。モトグッチオーナーズクラブのHP記事から近年日本でも一般化した言葉“トンテイ・フレーム”に90度Vツインエンジンを載せたモデル達をおおまかに旧型モトグッチと捉えてください。(1976年から1993年のルマンシリーズなど) その旧型に乗るグッチスタから「新しいモデルは面白くない」という声があがっている。かわって近年のモトグッチに乗り始めたという方に「どうですか」と問うと、「面白い」という返答があってまずはホッとひと安心。他社製のモーターサイクルには無い楽しさがあるというのです。
 
時代は違えどもモトグッチを選んだという点で新旧グッチスタはよく似た趣向・感性・選択眼を持っているはずです。そこで例えばここにSPORT1200があり、これを面白い面白くないと評価が分かれるとしたらそれはなぜなのだろう。もちろん好みというものは単純に分類ができるものではなく、人それぞれに複雑な思いが交わって導き出されるものなのですが、それでもなお、旧型モデルを好むグッチスタの多くが新型に目もくれない傾向は明らかなのです。旧型の各モデルがそれぞれ持っている細分化できる特徴(例えばルマン靴呂匹Δ世箸ルマン1000はこうだとか)についてはこの稿では不問としますが、旧型グッチスタからの「新型車は面白くない」という声はまさに先に書いたモトグッチが持っていた特徴に乏しいからではないかと推測されます。
 
濃い味に慣れてしまったら薄味の食事は味気ないもの。一方、新型グッチスタが「面白い」というのは、特徴の薄いあるいは異なる特徴をもつモーターサイクルから乗り換えたときに感じたのでしょう。(もしそうではなく、生まれて初めて跨ったのがモトグッチで、しかもいきなりウマが合ったのだとすれば、それはとびきり幸運な人生)結局こういった感覚は絶対評価ではなく、自分の体験をベースにした基準との比較が大きな要素になっているはずなのです。
 
いや味付けの濃い新型モトグッチが出れば・・・・・・・・これは言っても仕方のないことで、騒音規制は厳しくなるし排ガス規制も強化され、それらをクリアしてゆくためにますますスムーズでおとなしいエンジン作りが進んでいくでしょう。ならば今後モトグッチは楽しいモーターサイクルではなくなってゆくのか。先に挙げた特徴はさらに薄くなってゆくとして、ではそれ以外に私たちグッチスタを惹きつける何かは存在しないのか。そうでなければ新型グッチスタの皆さんが「モトグッチは楽しい」と語るわけがないのです。


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糸口をひとつ見つけました。それは高速道路に。
そう、高速道路での巡航に不思議な、いいようのない楽しさがある。ルマン靴覆匹得意とするレールの上を行くような走りのことを指しているのではなく、追い越し加速や逆にゆとりのある減速時の、フライホイールの慣性に支配されて1拍待たせるようなあの感覚を言っているのでもありません。そもそもそれらは神経の疲労につながらない特徴であっても楽しさと呼べるのかどうか。余談ながら日本車との比較を問われたときに人間に遠いか近いかという表現をすることがあるのですが、まさにこの1拍おいてジワッと始まり徐々に高まってゆく反応こそが人間に近い優しい動きと言えます。なぜなら私たちを取り巻く機械の進歩に比べて、私たち人間自身の性能は古代よりそれほど研ぎ澄まされてきているとは思えないので。

話を戻しますがなにが妙なのかと言うと、高速道路でもコーナーやアップダウンに乏しい平野や盆地などのルートで一定速度のクルージングをするとき、たとえば音楽に救いを求めるでもなく変化の少ない走行を長々と続けられること。よくそのことからモトグッチに乗ると日本が小さくなるなどと言うのですが、それは最高速度が高いからではなく巡航速度が高いまま燃料タンクが空になるか膀胱が満タンになるかまで走り続けることもできるからです。もちろんヘッドカウルの装備などある程度の条件は必要ですけれども。
 
先にふれた疲労しないことは大事な要素ではありますが、多少疲労があったとしても私たちがそれを強く意識するのは飽きたときこそなのです。モトグッチは長距離移動で走りに飽きない。そのことは新旧問わずに言えることです。ここにグッチスタを惹きつけるモトグッチ特有の要素があるのではないか。ただ困ったことに飽きない原因を探すときに新旧モデルでの特徴的共通項はエンジンが90度Vツインであることくらいしか残ってないのです。ただし高速走行では90度Vツインは回転上昇につれ振動を収束させてゆく。すでにトルク変動やツインの鼓動から無縁になりつつある5000rpmから6000rpmへと回っていくエンジンから感じ取ることができる楽しさなんてあるのだろうか・・・・・・・・・そんなことを考えていたある日、ラジオで不思議な言葉を聞いたのです。



(続く 1/4) mas
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