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時代の波

ついこのあいだ、ハイエースの車検をお願いしてるディ―ラーの担当の方から電話が入って、次回車検の話かと思いきや「ハイエース売るご予定はありませんか?今、品不足でして・・・・」とおっしゃる。それほど今の新車不足が深刻なようです。それはいいのですが、入手難なのにハイエース売っちゃったらウチが困るではないですか〜!?
 
コロナ禍から生産工場稼働停止による供給不足とテレワーク等の普及によって半導体不足が加速してしまい、自動車生産にも影響を及ぼしているのはご存じのとおりですが、それに加えて現在戦争中にあるウクライナには世界的にも生産量の大きな比率を占めるワイヤーハーネスの工場があるのだそうです。そのことがエンジン自動車(変な言い方ですが・・・)からEVへの移行を早めるとも言われているとのことなのです。なぜなら、ワイヤーハーネスの再増産を待つよりも、すでにワイヤーハーネスのモジュール化をして生産を始めているEVへの切り替えを早めたほうがいいからということなのです。はて、ワイヤーハーネスのモジュール化とは具体的に何をやってるのだろうと探してみましたが「何をこう」と示しているものを見つけることはできませんでした。
 
ワイヤーハーネスは自動車にとって、人間に例えれば神経(指令、情報)と血管(給電)なのかなと思います。バイクのワイヤーハーネスの見た目は骨格標本のようにも見えます。バッテリーあるいはヒューズボックスから各装置にそれぞれ給電して、ECU搭載車であればECUから各装置各センサーをつないでいます。そのメインとなるハーネスはまるで脊椎のようです。

 
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850ルマンのワイヤーハーネス(新品)
 

これのモジュール化ってやはりワイヤレスにしてそれぞれを独立させることでしょうか。ものすごく矮小化してしまってるかもしれませんが例えばブレーキランプを点けるのに、従来はバッテリーからヒューズボックス〜イグニッションスイッチ〜ブレーキスイッチと通った電流をテールランプまで届けるということを電線上でしていましたが、ブレーキスイッチがONになった情報を無線で飛ばせば済みます。電源もEVならどこからでも取り出せそう(想像です)なので、ブレーキランプなど各パーツが近いところからもらえば済むのでこちらの配線も短くて済むでしょう。なのでこの場合たとえばテールランプやリアウィンカーなど近いものを一体として共通の指令受信機と電源を持つ独立した構造にすることがワイヤーハーネスのモジュール化・・・・・と思いましたが想像です。すみません。
 
4輪車では1台に使う銅線の長さが数キロにもなるとか・・・・・。そうすると重量面でもコスト面でも無くすメリットはありますね。それにワイヤーハーネス製造はいまだ手作業に依存しているのだそうです。それは生産効率が悪そうだ。モジュール化すれば生産工場のオートメ化も容易にできるでしょうか。ちなみに850ルマンIIはメーターパネル裏の一部に限りますが配線の代わりにプリント基板を使ってスリム化しています。これを拡大したら脱ワイヤーハーネスが進んだかも?でも脱ワイヤーハーネスはそれまで世界の自動車メーカーがお安く使ってきた(想像です)労働力の雇用を奪ってしまうので、もしそうなってしまうなら、いずれ来る時代の波とはいえなんとも切ないものがあります。
 
もうひとつの半導体不足のほうですが、こちらはものすごい技術革命でも起きて代替品ができないことには、じっと生産態勢が落ち着くのを待つしかなさそうです。モトグッチリパラーレは新車販売していませんので販売車両不足による影響はありませんが、部品の供給が滞るのは困ります。そこで私のカリフォルニア(1986年)やV65スクランブラー(1990年?)に半導体はどれだけ使われてるのかあらためて考えてみたら、
 
IC式ボルテージレギュレター
ダイオードを使っているレクチファイヤー
以上!
 
でした。とっても少ないっ!(笑)


 
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左:ボルテージレギュレター 右:レクチファイヤー
どちらも1980年代のものです
 

ちなみにレクチファイヤーの故障〜交換はあまり経験がありません。一方レギュレターのほうは多くはないですがあることはあります。ですので私の場合は半導体不足で入手難になると困る部品はレギュレターのみですね。いや〜、なんだか古臭いバイクでよかった・・・。しかもICレギュレターが入手できなくても接点式レギュレターというのがありまして、それを探し出せばなんとかリカバリーできるかもしれません。ついでに書きますとほかに起きそうな充電系部品の故障は本当にたま〜にですがオルタネーターのインナーローターの断線か短絡があるくらいです。
 
部品といえば以前は木箱にどっさり、志賀と2人でようやく動かせる、本当ならフォークリフトだよねという量の部品をイタリアから取り寄せていました。当時モトグッチから送られてくる箱には「Centro Ricambi」と印刷してあって、私たちは「リカンビ」という名のモトグッチの子会社かなんかなんだろうというぐらいの認識でしたので、イタリアに行った際も「リカンビに連絡とってもらって・・・・・」などと話していましたら通訳の方が目を丸くして「リカンビって部品という意味なんですけど・・・」と、 つまりチェントロ・リカンビってのは部品センターのことだったんですね。そんな笑い話みたいなこともありました。
 
昨今ではメールで手軽に発注できるし、急ぎの際は割とすぐに小口で送ってもらえる。これも時代の波ですね。ただしこのウクライナ戦争後は物流網のゴタゴタもあったようでどこで滞っているのかなかなか届かない部品がありました。それも沈静化した(リパラーレでの感触)と思った6月のはじめころにオーダーした部品がいつまで経っても届かない。あまりに遅いので半月過ぎたころ問い合わせたら、なんとイスタンブールの空港で放置されていたようだったのです!まさかまだEU圏内にあるとは!?載せ替えは飛行機がロシア・ウクライナ上空を飛べなくなっているので迂回のためやむを得なかったのでしょうが、なんで引き継ぎの便にすぐ載らなかったんでしょう。6月末に日本の空港までは届いたらしいです。あとはここまでの配達を待つばかりです。(すでに7月1週めに届きました。遅筆なものでタイムラグが生じてしまいました・・・)
 
配達と言えば、現在リパラーレでは基本的に車両の引き取りや配達を行っておりません。何年前だったかさだかに覚えておりませんが、整備振興会2輪車支部の会合でオートバイ屋(整備業者)は有償の車両搬送はできないというお話が出たのです。料金をいただいて輸送ができる輸送業ではないからです。オートバイ屋がお客さまのオートバイを運ぶのに何の疑いも持っていなかったのですが、これも時代の・・・・・波と言ってはいけないのでしょうね。なにしろ元々ダメだったのでしょうから、たぶん。
今回このブログでこの件に触れさせていただいたのは、この話をすると驚かれるお客さまが多くいらっしゃるからです。でも世の中的にはですが、車検場で会うバイク屋仲間にも改めて聞いてみれば、ほとんど引き取り&配達はしないといつの間にやら切り替えていました。オートバイを輸送中に事故に遭ったら載せていたオートバイの保証は受けられなかったという話も聞きましたので、どうかご理解いただきたいと思います。車検が切れて乗れない場合はレッカー業者さんをご紹介しています。オートバイ専門のレッカー業者さんが増えて価格もかなりお手軽になりました。走行中の事故・故障はJAFやそれぞれご加入の保険会社のレッカーサービス等もご活用くださいませ。
 
私の場合は整備士でもありますし、なんとなくですが他人に弄られたくないという偏屈な思いもありまして、出先でトラブルがあってもなんとかして自力で帰ってきたいと思ってます。幸い私が乗っている古くさい2台はコンピューターなぞ積んでませんし、点火系になにかあっても同時に左右両方の火が飛ばなくなることはまずありませんし、事故を起こさなければ、いきなり決定的に走れなくなることはほとんど無いでしょう。
とりあえず自分に起きることで想定しているのは、日頃メンテナンスを欠かさなかったとしても予測しづらい電気系統の故障です。ロングツーリングの出先で、先にも触れましたボルテージレギュレターがもし出先でパンクしたらこんなことをしてみようかなと考えていたことを、この際いい機会なので実験してみようと思います。


 
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オルタネーター
 

上の画像は80〜90年代のモトグッチに乗ってる方にはなじみ深いオルタネーターです。DF端子に給電するとブラシを通してクランクシャフトと共に回っているローターコイルに電気が流れて磁化し、外側のステータコイルに交流電圧が発生するという仕組みです。DF端子に電気を送るのがボルテージレギュレターで、その電気を励磁電流といいます。もしボルテージレギュレターが故障したら、代わりにここに電気を流すことができれば発電してくれることになります。(モトグッチの場合はローターコイルのプラス側をコントロールしますが、逆にアース側をコントロールする場合もあります)
 
実はSUZUKIのGT750発売時に若いころの志賀が技術講習会に行って、このSUZUKIで初めて採用された励磁式オルタネーターの説明を受けたそうです。それまで日本のオートバイではほとんど採用されてなかったそうで、「やっとこんな高級品を使うようになったか・・・」と思ったそうです。四輪自動車では一般的なシステムなのですが、四輪では一体の発電機・整流器・レギュレターであったのを分割して小型化できたことや、250〜500〜750と排気量があがって車体も大きくなって採用できるようになったのかもしれません。
 
その講習会で充電不良時のトラブルシューティング、ボルテージレギュレターの故障を確認できる手法として、ローターコイルにバッテリーから直接励磁電流を流すという方法が紹介されたそうです。そうして発電が始まるようならばレギュレターが働いていないと判定できます。ただしそれをやり過ぎるとローターコイルが焼ききれてしまうので注意してくださいという注意も受けたそうです。なので今回まず故障のない現車で励磁電流の電圧を確認してみたところ、エンジン停止状態で5Vとなっていました。



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試作5V電源キット
 

そこで夏休みの宿題工作みたいですが、笑 エネループ4本直列で想定4.8V実測5.3Vの電源を作ってみました。レギュレターがパンクしてもこういう装置を使ってオルタネーターに励磁電流を流したら充電できるのではという実験をすることにしました。
 
なぜ低い電圧でチェックするのかというと、通常であればオルタネーターの発電量はすぐにバッテリー電圧をオーバーするので、ライダーが走りながらコントロールできないだろうという予想があったからです。
ふだん充電の様子を電流計でチェックをする際、健康なバッテリーでヘッドライト等がOFFであれば3000rpmも回すとボルテージレギュレターが設定電圧に達してカットオフしてバッテリーへの過充電を防ぐのですが、3000rpmというのは市街地を走っていてもすぐに達する回転域なので、もし12Vも給電したら、恐らくかなり短い周期でON/OFFを繰り返さないとならず、それは手動では不可能なレベルなんじゃなかろうかという予測なのです。この実験でローターコイルやバッテリーを壊してしまっては痛すぎますので用心深く5Vでやってみました。その実験の様子は動画にしました。以下のリンクをご覧ください。


 
「オルタネーターによる充電装置、乾電池から励磁電流を流して充電させる実験」
 

自宅前でやったもので、あまり高回転まで&長時間は回せない状況でしたが、こんな装置でもバッテリーに充電できる程度の発電ができることはわかりました。ポジションランプ点灯時は4000rpm回すと、ヘッドライトまで点けると5000rpmで充電が始まるようでした。充電が始まるというのは言い方を変えるとバッテリー電圧より高い電圧が発生したということになります。
 
ただしランプ等を点けない、負荷のかからない状況でも、5000rpm以上回してたところで、おおむね12.5V程度までしか電圧があがりませんでした。回転があがれば単純に発生電圧もあがると思っていたのですが・・・。本物のボルテージレギュレターはバッテリー電圧をあげてゆくとそれにつれて励磁電流の電圧も5Vから6V〜7Vとあがっていったのでそのようにしなければならないのか、それとも太く長い銅線で構成されているローターコイルに対して乾電池のパワーではこれが限界なのか、ちょっと私にはわからない領域できちんと書けなくてすみません。
 
ちなみに実験前は5.3Vあった電源キットの電圧ですが、実験後は5.1Vに落ちていました。実験中はほんの2〜3分の通電時間だったと思いますから、このキットでツーリング先から帰ってくるというわけにはいかないようです。
まあでも、私と同様古くさいモトグッチに乗ってらっしゃるかたには朗報があります。だいぶ昔ですがお客さまがツーリング先のたしか浜松から電話をくださって、チャージランプが点きっぱなしなんだけどとご相談がありました。恐らく充電系の故障なわけですが、話し合った結果、お客さまは可能な限り自走で帰ってみると決断されたのです。そしてすんなり帰ってきました!!!「そうか、満充電のあのバッテリーなら浜松から帰って来れるのか!?」と感心しました。もちろんなるべくヘッドランプを点けないとか、休憩を最小限に減らしてセルモーターを使わないなどの対処も必要でしたし、軽自動車と同じサイズのバッテリーを積んでいたからだろうなと思います。バッテリーが小さい現行モデルだと走行可能距離はもっと短くなるのでしょうね。まあいまどきは時代の波(?)で視認性をあげて事故防止するためヘッドランプは常時点灯となっているくらいなのですから”なるべく点けないで”というのもケシカランことなのかもしれませんが。
 
時代の波というものはある程度先も読めて、ゆるやかに寄せてくるのを眼で追えるようなイメージを持っていました。しかし2009年に書いていたコラム「最後の一滴はどこで?」ではガソリンの枯渇を心配していましたが、いつのまにかガソリンエンジンの生産終了という波がすぐそこまで寄せてきてしまいました。単に私が鈍いだけかもしれませんが・・・。
ところで波の中には「ヨタ波」というのがあります。昔、釣り雑誌かなにかで読んだのですが、台風などの影響で、波が一定に寄せてきているように見えて何十回(回数はちょっと覚えてませんが)に1回は少し大きい波が来る。さらに何百回(何千回?)に1回は予測不能の何倍も大きい波が来ると言います。これをヨタ波というのです。ロシアによるウクライナ侵攻もヨタ波のようなもので自動車業界にも余計な波を届けてしまいました。少しでも早く、良いかたちで収まりますように。

 
mas

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イタリアの鷲と豚の話(追記) (Mandello e Moto Guzzi vol1)

「GUZZI L'idea che ha cambiato Mandello」
の翻訳を続けてゆくうちにこの記事に関連した記述を見つけたので追記させていただきます。私が知らずに書いていた部分を正す意味もありまして・・・。
パローディ家の項で、1980年代のS.アルベルティという人の学士論文にカルロ・グッチがアドリアの飛行艇小隊で出会ったジョルジョ・パローディのその後が記されているのです。
 
戦争が終わり、彼はジェノヴァに戻って父の海運業を助けます。そのうちにスペインの貴族の娘と結婚し幸せな家庭を築くのですが、1935年、ジョルジョは西アフリカの戦いに身を投じます。数々の功績をあげてパイロットの腕を磨いた彼は1939年に100km飛行の平均速度の世界記録をたたき出します。機体はアンブロジーニS.7で平均392km/hに達したそうです。なんとまあ、また航空機のスピードの話になってきました。いつの時代も誰でもどこでも好きなんですね〜。ましてや戦雲濃厚な時代に先進兵器の航空機の開発競争には、ただならぬ情熱が注がれていたのでしょうか。
 
アンブロジーニS.7はレース用航空機で飛行艇ではなく陸上機です。某有名情報サイトを見ると、1939年に世界記録403.9km/hを樹立とありました。先の論文と年は同じくするものの速度が異なります。どちらかの数字が間違っているのか、ジョルジョの記録が同年他のパイロットに塗り替えられたのか、謎の12km/hの差になりました。そして某有名情報サイトには、戦後はアルファロメオのエンジンが積まれたとだけ記述があり、その前の戦中のエンジンの情報がありません。それでかわりにS.7をもとに開発されたというSAI.207を調べてみました。
 
SAI.207に積まれていたのはイゾッタ・フラスキーニ・デルタ(カルロ・グッチは学校を出たあとイゾッタ・フラスキーニ社のテスト部門にもしばらく勤めていました)という空冷倒立V12エンジンでした。あったんですね〜!空冷V12なんて!某有名情報サイトでカラー画像を見られます。各気筒が独立してたのですね。そうでないととても放熱が間に合わないでしょう。それでも前方のシリンダーに温められた空気が流れてくる後方のシリンダーはきついでしょう。モトグッチにお乗りの皆さんならスネに覚えがありませんか?ちなみに倒立であるのはパイロットの視界を確保するためでしょうか。私にはそれくらいしか思いつきませんでした。
ちなみにこの機の前のプロトタイプSAI.107も優れた性能を示しましたが、1941年7月18日に例のアルトゥーロ・フェラーリンが操縦中に墜落し、彼も機体も失われました。

1940年、イタリアの参戦とともにジョルジョは3度めの軍役につきます。かなり危険な軍務が続いたようです。そして1942年5月に砂漠の真ん中を飛行中(機体は不明です)にオーバーヒートが原因でシリンダーの一つが破損し、飛んできた部品によってジョルジョは顔面に深刻な負傷を負います。やはり放熱不足によるトラブルは起きていたのですね。
機体はおそらくセカンドパイロットによって基地に戻されたのでしょう。治療を受けたジョルジョは片目を失いました。「幸運にも、たまたまだけれど私には治療のための金がある」という彼の言葉が残されています。きっと多くの負傷兵は満足な補償も治療も受けずに苦しい人生を過ごしたのでしょう。
 
ここまでがモトグッチ誕生に関わった人々と航空機にまつわる話となります。ジョルジョが負傷した1942年は、モトグッチは創業から20年を数え、G.T.17を始め軍用車も供する大きなメーカーになっている時代です。その20年はパローディ家の項が終わってこれから読むことになります。モトグッチがスピードの世界で活躍する時代でもあります。なにかご紹介できることがあれば書きたいと思います。今回は画像もなく愛想なしでしたが、お読みいただきありがとうございました。
 
mas




 
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イタリアの鷲と豚の話 (Mandello e Moto Guzzi vol1)

現在のマンデッロ
<マンデッロ・デル・ラーリオ 2016年9月>
 

2016年9月、モトグッチの95周年でにぎわうマンデッロ・デル・ラーリオの一角にひとつテントが設置されて、出版されたばかりの本が売られていました。私もさまざまなモトグッチ書籍を見ていますが、その分厚い本には見たことの無い写真ばかり載っていて、すかさず買ったものです。その際、テントにいたマダムが「12月にまたマンデッロにいらっしゃい!2巻が出るのよ!」とおっしゃるのですが、そんな頻繁にイタリアに行けるわけがなく、入手できるのはたぶん5年後か・・・と諦めていたのですが、マンデッロで部屋を貸してくださったご夫婦が年明けに来日することになったので重いのに買ってきてもらったのです。
上下2巻合わせて1300ページ!!そんな膨大なイタリア語の文はとてものこと読めないので、写真を眺めてはキャプションを拾い読み・・・・・してたのですが、どうも創業当時のグッチ家の人々にじかに会った方々へのインタビューや、マンデッロの人々が所有していた古い写真などの資料なども載っていて、今までのモトグッチ関連書籍とは情報量もですが、情報の質が異なるようです。ちょっとこれは真面目に読んでみようかなあ?・・・・・と、ついに大海に漕ぎ出してしまったのでした。
  
題名は「GUZZI L'idea che ha cambiato Mandello」イタリア語の"idea"は英語と同じくアイディアでいいのですが、どう日本語にするか迷っています。「グッチ マンデッロに変化をもたらしたその理念」、あるいは「信念」とか。もう少し読み進めないと決められそうもありません。もちろんモトグッチの実際の関係者でもある、マンデッロの人々の記憶・証言・資料をまとめた、町の側から描くモトグッチの歴史書です。


 
グッチとマンデッロの本
 

記述はまずカルロ・グッチの家族の描写から始まります。ミラノの裕福な中産階級であった家族の、ミラノ理工大の著名な教師であった父、画家一族の一員であった母、土木技師として数々の仕事を地域に残し、モトグッチの技術部の責任者としてやがて伝説となるノルジェをカルロと共に作り、1928年に彼自身がカポ・ノルドに到達した兄、周辺の山々の登攀ルートを開拓し第二次大戦中は反ファシストのパルチザン活動に身を投じた姉と妹、などなどです。
   
そしてカルロ(1889−1964)。彼は少年の頃はマンデッロにあったグッチ家の避暑のための別荘で長い時を過ごしました。そして近くの鍛冶屋ジョルジョ・リパモンティ(通称フェレー)のもとへ通うのです。当時の鍛冶屋は便利屋さんのような役目を負っていたのでしょう、フェレーはモーターサイクルメカニックでもあったので、彼の工房でカルロは機械工学やモーターサイクルへの興味と情熱を育んだのです。やがてヴィチェンツァの工業学校に通いエキスパートとして卒業するのですが、どういう事情か勉強を続けることができず兄のようにエンジニアまでにはなれなかったようです。それでも彼の中では1910年代のモーターサイクルの、エンジンを潤滑するより乗り手のズボンに飛んでくるほうが多いオイルの問題の解決策や、アルプスのすべての峠を越えることができるような中小排気量の単気筒エンジンをもつ信頼性の高いというモーターサイクルの構想が膨れ上がっていたのです。

1914年に第一次世界大戦が始まり、カルロはイタリア空軍(正確にはまだ空軍は設立されておらず、王立陸軍航空部隊と王立海軍航空部隊があったようです)に召集され、そこで2人の友ジョルジョ・パローディ、ジョヴァンニ・ラヴェッリと出会い、戦後3人で新しいモーターサイクルを造ろうと語り合いますが、戦後すぐにジョヴァンニ・ラヴェッリは飛行機事故で亡くなってしまいます。そして残った2人で作り上げたモトグッチには亡くなった友を記念してイタリア空軍(王立空軍の創設は1923年)の翼を拡げた金の鷲のマークが冠されたという伝説が生まれます。


 
イタリア空軍のシンボル、金の鷲
 

1918年に戦争は終わり、翌1919年にジョルジョ・パローディの父エマヌエーレ・ヴィットーリオ・パローディから出資の確約を得て、その年のうちにカルロはフェレーと共にマンデッロで、G.P.(GUZZIとPARODIの頭文字)と呼ばれる彼の最初のプロトタイプを組み上げます。そしてその性能を認めたエマヌエーレ・ヴィットーリオ・パローディから増資が約束されます。
モトグッチ株式会社はそれを元に1921年3月15日にマンデッロ・デル・ラーリオの300平米の土地に産声をあげるのですが、それに先立つ1920年12月15日のモトチクリズモ誌23号で既に、「来春にも魅力的なメーカーによって新たなマシーンがイタリアにおいて発表される」と予告がされていたのでした。 ここまでが上下2巻全体の1/20の、モトグッチ社誕生までの物語となります。カルロが2人の戦友と出会うくだりはあっさりと書きましたが、すこしばかり訳がありまして、このあとさらに詳しく書いてみたいと思います。

 
プロトタイプ G.P.
<プロトタイプ G.P. モトグッチ・ミュージアムにて>
 

ところで私、グッチグッチと書いてますけれども、皆さんの車検証でご存じでしょうが登録されたメーカー名称がそれまでの「モトグッティ」から「モト・グッツィ」に改まりました。元の発音に忠実に、ということなのでしょう。でもまあ日本では「モトグッチ」がすっかり定着していますのでこれで通させていただいています。私が出会ったイタリア人でグッチのことをグジーと言う人もいましたし、私なんてマーズモートーですよ。きっとマスモトと言いづらいのだろうから気にしません。それに某モトグッチのオフィシャルなウェブサイト上でもモトグッチのかつての高名なエンジニア、ジュリオ・チェーザレ・カルカーノ氏のことをジュリオ・セザール・カルカーノなんて書いてもいるので、きっと発音問題というのはそんなに厳格なお話でもないのでしょう。
  
それよりもこの某オフィシャルなウェブサイトには、名前という面では別の見過ごせない部分があるのです。それはモトグッチの歴史を紹介してるページの「ビチリンドリカ」の項ですが、その表題を間違えて「ビチンドリカ」と書かれているのです(2022年1月31日現在)。「ビチリンドリカ」とは単なるニックネームではなく、そもそも「2気筒」という意味で、このレーサーがすでに活躍していた250ccレーサーのシリンダーを2つ使って120度Vツイン500ccレーサーに仕上げた名車だという成り立ちをも指しているのです。「ビチンドリカ」では意味が通じません。
またこのビチリンドリカの素材となった、1926年に投入され、これまた数々の勝利を収めた名機250ccレーサーの写真も、同じく某オフィシャルなウェブサイトでは1939年から販売が始まる市販車アイローネ(これも250ccではありますけれども!)の写真が使われています。250にはのちのモデル、1938年にスーパーチャージャーを搭載したコンプレッソーレもあるし、1939年にアルミシリンダーとアルミシリンダーヘッドを採用したアルバトロスもあるので写真素材には事欠かないはずなので、ちょい物足りないですね・・・・・。
 
ところで名称こぼれ話なんですが、さらに前は車検証に「モトグッチ」と記載されていました。それが1980年台後半ころに陸運局のほうから「モトグツティ」に変更したいと提案がありました。当時の日本総代理店だった諸井敬商事は「せっかく呼びやすいモトグッチが定着してるのに」と抗議しましたが結局変更となってしまったという経緯があります。


 
250コンプレッソーレ
<250コンプレッソーレ モトグッチ・ミュージアムにて>
 

さて、第一次世界大戦当初のカルロに話を戻しましょう。
彼は1914年、25歳のときに機関兵の空軍准尉として召集されました。その任地はヴェネツィアの北東に位置する聖アンドーレア島(サンタンドーレア島)にあった飛行艇小隊の整備工場だったのです。そこで2人のパイロットに出会います。1人はジェノバのかなり裕福な市民であったジョルジョ・パローディ。もう1人はブレッシア生まれで自転車の選手でもあり、戦前の優れたモーターサイクルレーサーであったジョヴァンニ・ラヴェッリでした。3人は意気投合し、カルロの新しいモーターサイクル造りのアイデアに共感し、パローディの実家の財力と、ジョヴァンニ・ラヴェッリのかつてスペインで“イタリアの悪魔”と呼ばれたライダーとしての実力と名声をも合わせればそれはきっと成功するだろうと語り合ったのでした。
 
・・・・・むむむ、
ちょっとなにか気になりませんか?
カルロたちが出会ったのはアドリア海北端に位置する小島、サンタンドーレア島の基地。彼らがいたのは飛行艇小隊なのです。アドリア海の飛行艇乗り、それってまるで「紅の豚」の世界じゃないですか!?

ちなみに、「紅の豚」の作者宮崎駿さんはモトグッチのVツインエンジンを搭載した3輪車「トライキング」を所有していた(現在のことは存じません)ほどのマニアです。たしかカーグラ誌上だったと思いますがトライキングのことを漫画にしていて、そのシンプルさやダイレクト感を評して、素ウドンならぬ素グルマと描いていたのを覚えています。
モト(モーターサイクル)のグッチにどれだけ興味をお持ちだったのかは伝わっていませんが、じかにモトグッチエンジンに接していた宮崎駿さんが、もしカルロ・グッチがアドリアの飛行艇小隊で運命的な2人の友と出会ったことを知っていたなら、ひょっとしてそれをモチーフに「紅の豚」の舞台ができあがったのではと想像したら楽しくないですか?時代だってほぼ合ってるのです!

ちょうど少し前に「紅の豚」がテレビで放映されました。その後いらしたお客さんと雑談をしていて、その方はわりとそういったこと(戦史など)にお詳しいので「ピッコロ社でエンジンかけるじゃないですか。でもラジエターとか見当たらないんですけど空冷なんですかね〜フィンも無いのに」と話すと「いや水冷(液冷)でしょう!!」と一刀両断。ひょっとして航空機の速度だと空気の流量が違うから空冷V12なんてシロモノがまかり通るのかと想像しましたが、まあ普通に考えたら中間のシリンダーはすぐに焼き付きますよね。
 
そんなところから、今さらですけど「紅の豚」の「エンジンちゃん」について少しは調べてみようと思い立ったのです。今ってのはいいものでネット上には情報があふれていました。調べていたら長年ふわっと思ってた2つの疑問、スピード勝負なのになぜ空気抵抗が大きそうなフロートを備えた飛行艇なんだろう?と、ヘッドカバーにGHIBRIと浮き文字があるフォルゴーレというエンジンの正体は?もわかりました。私は航空機エンジンの知識は皆無でしたので、ここから先はネット情報によるもの多です。出典をリンクしませんが興味を持たれた方はググってみてくださいませ。機体やエンジンの写真等見ることができます。ちなみに星型ではない空冷航空機エンジンもありました。先のお客さんが調べてくださったのですが、Napier Dagger(読みはわかりません)というH型24気筒です。写真を見ると大きなダクトを上下2つ備えていて、これは給気と冷却を兼ねているのでしょうか。そして各シリンダー間には冷却のための通気口など設けられているのかもしれません。
 
それでは前提として「紅の豚」の各設定は原作版と映画版とで異なるので、ここでは映画版についてのみ話を進めたいと思います。まずポルコ・ロッソの機体はサヴォイアS.21試作戦闘飛行艇ということになっています。実はこれは名前だけの設定で、その姿は実在のサヴォイアS.21とも異なり(複葉機ですので)、宮崎駿さんが少年期に見たというマッキM.33がフォルムのモデルになったとされているそうです。このM.33はたしかに似ています。そして実際に1925年のシュナイダートロフィーでカーチスに敗れているのです。
ポルコ・ロッソ号が最初に積んでいたのはイゾッタ・フラスキーニ社のアッソ液冷V12スーパーチャージドエンジン。そしてエンジン故障でカーチスとの最初の空中戦に負けたあとにピッコロ社のオヤジが持ち出したフォルゴーレという架空のエンジンのモデルになっているのはフィアットのAS.2、水冷V12気筒、SOHC4バルブです。シュナイダー・トロフィーに向けてチューンされたエンジンでアルミシリンダーヘッドやマグネシウム合金のピストンが投入されていたようです。
ボアストロークは140X170mm。ボアが140mm!一瞬、そんなにでかくても火炎伝播が間に合わず必ずしも有利とは言えないのでは?と思ったバイク屋のオヤジでしたが、最高馬力800hpを発生するのは2500rpmでした。その程度の回転ならちゃんと燃えきるのでしょう。
ではフォルゴーレってナニ? Folgoreというのはイタリア語で稲妻という意味なのですが、宮崎駿さんが少年期に見たというM.33と同じマッキ社に、フォルゴーレと名付けられたMC.202という戦闘機があるのです。宮崎駿さんの遊び心なのでしょう。ちなみにマッキ社は第二次世界大戦後はモーターサイクル造りに転じて(アエルマッキ)、実はモトグッチにも縁が深いリノ・トンティも開発に参じていたのですが、もうそんなことを掘り下げていてはキリが無いので後日に譲ってやめときます。


 
アドリアではないけどレッコ湖の風景
<本文とは関係なくアドリア海ではないレッコ湖の風景>
 

さて、劇中のフォルゴーレのヘッドカバーにはGHIBRI(イタリア語読みするとギブリ)と浮き文字が見えます。浮き文字で思い出す話を少し書きます。モトグッチのかつての日本総代理店であった諸井敬商事の創業社長であった故諸井敬氏は戦時中は東京高等工芸学校の学生でしたが、学徒動員で中島飛行機荻窪製作所の航空発動機試作工場に送りこまれました。そこの試作研究部で、のちにH・R・Cの社長にもなる関口久一技師の指導の下、B29に立ち向かうべく3500馬力を目指して空冷複列星型18気筒のハ107,ハ117の2種のエンジンの試作を秘かにしていました。
ある日、恐らく敗戦濃厚という局面だったのでしょう、東京にも空襲が始まっていて、田無のほうにほぼ無傷のB29が墜ちたとのことでエンジンを回収に行ったのだそうです。そしてそこで見たのはエンジンに浮き文字で品番が記されているという、当時日本ではまだ打刻していたのと比べるとずいぶんと余裕な工業力であったそうです。エンジンを開けてみると遠くサイパンから飛んできたとは思えないほどきれいなシリンダーウォール。自分たちの試作エンジンは昼夜回し続けて耐久テストをすると見るも無残な段付き摩耗と、こんなに差があったら制空権が米軍の手中にあったのも仕方ないと後年語っていたそうです。(一部諸井敬氏の「内燃機関にとりつかれて」から引用)
 
諸井敬氏は航空発動機を研究するためと海軍兵学校に入るために英語の猛勉強をしたので、戦後は英語力を武器に進駐軍第8軍司令官ウォーカー中将のもとで通訳を務め、そこからの縁で貿易界に足を踏み入れるのですが、いろいろなエピソードはまた別の機会(があれば)にしてフォルゴーレ(FIAT、AS.2)に戻ります。
この時代のV12というエンジンについて、気になったのはクランクシャフトです。まさか組み立て式クランクだったのか、当時V12のそこそこ長いクランクシャフトを鍛造で作れたのか、一番想像しやすいのは削り出しかと思うのですが。そこまでの情報は私は見つけることができませんでした。ただクランクピンについては、最先端を行く航空機エンジンのことなのできっとメタルを使っていたことでしょうね。
近い時代のモトグッチのエンジンで紀文食品様所有の1930年製Sport14は一体型クランクにメタルを使っていました。鍛造かどうだったかは今ちょっとわかりません。もう1台、諸井敬商事にティポ・スポルトと呼ばれたモデルが置いてありました。もしSport14以前のSportであれば1923〜1928年の間に製造されたもので、この車体はメタルではなくニードルベアリングが使われていました。ベアリングならクランクは2ストロークエンジンと同じく組み立て式かと思いきや、クランクは一体でコンロッドビッグエンドをばらしてニードルを入れるという方式でした。あらためて2台並べていろいろ検証してみたいものですが、このティポスポルトは20数年ほど前までリパラーレでお預かりしていましたが、諸井敬氏のご遺族のお一人が引き取りにいらして、その後の消息がわからなくなってしまいました。
 
さて劇中のフォルゴーレはピッコロ社の倉庫で試運転をします。モデルとなったFIAT、AS.2は先に書きましたように水冷です。あの場面で風になびくパイプのようなものが見えますが、あの中を冷却水や燃料が通っているのでしょうか。あんなにヒラヒラしててプレッシャーは維持できるのかな〜、冷却水の循環が悪くて焼き付かないか心配です(笑)そして後方にラジエターが置いてあってプロペラの風を当てているのでしょうか。それよりも目の前を運河が流れているのですからその水をエンジンに送り込んで温まった水は垂れ流しにするほうが簡単かもしれません。でもそれはどちらかというと冷え過ぎか。よくヤマハRZのラジエターに貼られたガムテープをちらりと思い出しました・・・・・。


 
市庁舎広場にて
<マンデッロ 市庁舎前の広場 カルロの像が置かれている>
 

ピッコロ社の倉庫を飛び出したポルコ機は、ミラノの運河から飛び立ちます。そこで思い出すのは私が感じていた疑問、なぜ飛行艇がスピードレースを?ですが、ちゃんと理由がありました。紅の豚を見ていると、この映画の世界では航空機は全て飛行艇という設定なのでは?とも思わされる雰囲気もありますが、そもそも現実のシュナイダー・トロフィー・レースにしたって飛行艇の速度を争うレースだったのです。
航空機で速度をあげてゆくのに障壁のひとつが翼だったそうです。ざっくり書きますが両翼の幅が狭いほうが有利で、ただしやみくもに狭くすると離陸(あるいは離水)時の揚力が足りなくなってしまいます。そうなるとスピードレースに臨む航空機には長い長い滑走路が必要となり、限りある飛行場の滑走路を使う陸上機よりも、海などでどこまでも助走ができる飛行艇のほうが翼を小さくできる分有利だったのです。ほかに私が疑問に思っていたフロートの空気抵抗は陸上機の車輪よりも小さかったので、やはり飛行艇が有利だったそうです。後年フラップ(翼に取り付ける可動部)が開発されて翼を小さくできるようになり、また離陸後車輪を格納できるようになって空気抵抗を減らせた陸上機が逆転して有利になっていったのです。
 
ミラノの運河からようやく飛び立ったポルコ。彼の脱出の手助けをしたのはかつての戦友フェラーリンでしたね。このフェラーリンにもちょっとした因縁話があるのです。と、その前に!手助けで思い出しましたが、この物語に出てくるマンマユート団、これって読みではマンマユートと言ってますがイタリア語にするとmamma aiuto!となり、つまり「ママ助けて〜!」という意味になります。全然怖くない(笑)
で、フェラーリンです。この人には実在のモデルがいるのではといわれているのです。イタリアでは戦闘機の性能がいまひとつだったそうで、第一次世界大戦中にアンサルド社において開発が始まりました。1917年に試作機が完成し、社名に設計者2人の名も合わせてS.V.A.(Savoia Verduzio Ansaldo)1型と命名されました。これはその後改良を重ねられるのですが、1920年になって極東への空路開拓を目的に11機の航空機がローマから飛び立ちました。そのうちで唯一、同一機で全行程108日、飛行日数27日、飛行時間112時間でローマ〜東京18000kmを飛んだのが複葉複座の陸上機、S.V.A.9でパイロットがアルトゥーロ・フェラーリン中尉だったのです。宮崎駿さん、この日本にも関わるエピソードを知らずして数多あるイタリア人の名前の中からフェラーリンを選んだとは思えないです。



2006年浜松基地へツーリング
<2006年、浜松基地へのクラブツーリング>
 

世界で初めての偉業を成功したこの機体は靖国神社遊就館にて展示されていたところが昭和20年の空襲で焼失してしまったので、戦後になってイタリアからレプリカが寄贈されたのだそうです。そのレプリカは現在航空自衛隊浜松広報館にあるそうで、「えっ何年か前にモトグッチオーナーズクラブで浜松基地に見学ツーリングに行ったよ!」と写真をさがしたのですが、残念ながらS.V.A.9レプリカは写っていませんでした。

かつてはスピードレコードを持っていた飛行艇という消えて行ったエリートに目を向け、劇中では天に召されてゆく飛行艇乗りたちを描いた宮崎駿さんにカルロ・グッチの気持ちを重ねずにいられません。
1918年11月11日に第一次世界大戦が終わり、カルロ・グッチはマンデッロに帰りプロトタイプの製作を始めます。ジョヴァンニ・ラヴェッリは空軍にとどまりその完成を待っていましたが、1919年8月11日、飛行中のエンジントラブルに見舞われ地表に激突、身体じゅうの負傷によって亡くなります。この知らせはカルロを心底打ちのめしたといいます。もし1919年のうちには完成したという彼のプロトタイプが8月にも仕上がっていたら、ジョヴァンニはすぐにでもマンデッロに赴いていて事故に遭うことはなかったでしょう。もしそうなっていたらモトグッチは、イタリアの悪魔と呼ばれたジョヴァンニによってこそサーキットの栄光を掴んで世界の大メーカーの道に踏み出したに違いないからです。

お読みいただきありがとうございました。この「Mandello e Moto Guzzi」は一応vol1と書きましたが、もし例の本を読み進めていくうちになにか面白いネタがあったらまたご紹介させていただきます。

mas 

 
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オゾンの功罪

先日のことラジオでこのコロナ禍の中ならではの製品の紹介をしていました。幕張メッセで開催された「医療と介護の総合展」に出展されていた除菌のためのオゾン水の生成機です。アルコールも塩素も使わずに除菌ができ、しかも使用後に毒性の残留物がなく、インフルエンザウィルスの不活化も確認されていると話されていました。ラジオ番組のスタッフが試しに手を洗ってみたら肌がサラサラになったと・・・それは皮脂がオゾンによって分解されたからという解説でした。へえ〜。ただし一般家庭で買えるような価格帯じゃありませんでしたので、ここは普及型の登場が待たれます。
 
オゾンは分子式でO₃、分子式O₂の酸素分子に酸素原子Oが加わったものです。作業をしながら聞いていたのですが、このオゾン0₃はわりとたやすくO₂とOにわかれるそうで、このわかれた酸素原子Oが強力で、菌や汚れなどの元と反応して菌や汚れや匂いなどを消すという解説だったように思います。そしてオゾン水は飲んでも害は無いが、オゾンガスは吸ったら危険というお話もあって、もう少し詳しく聞きたかったなと思うところでありました。
 
そういえばペットの匂いを取るオゾン発生器などの商品を見たことがありました。試しにオゾンでネット検索してみると除菌・脱臭などのたくさんの製品が見つかります。ですが私の仕事柄、オゾンと聞くとどうしても悪い影響のほうが頭をよぎるのです。まずはゴム製品のオゾンクラックという言葉を聞いたことありませんでしょうか?また皆さまのモトグッチのエンジン前部のオルタネーターカバー(比較的新しいモデルは除く)の下部にベロのような突起があることにお気づきかと思いますがこれもオゾンと関係があります。


  
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オゾンは紫外線(太陽光)や放射線や高速電子の衝突などによって発生します。私たちグッチスタの身近なシチュエーションとしては、ブラシを有した発電機やモーターが作動した際やポイント式点火装置のコンタクトブレーカー(ポイント)開閉により生じる放電により空気中の酸素からオゾンを作り出します。
 
こういうプロセスです↓
3つの酸素分子のうち「O₂ O₂ O₂」
1つが放電を受け2つの酸素原子に分かれ「O₂ O O O₂」
残り2つの酸素分子と合体してオゾン2つに「O₃ O₃」
 
そのため自動車のオルタネーターやデストリビューターなどは密封されずに外気と流通があるよう設計されています。モトグッチにおいては例えばV7や850ルマンなどを見てもオルタネーターカバーの下部にベロが出ていて空気が流通するようになっています。水がかかりやすいエンジン前部で中には電気部品があるのだから密閉したくなるもんですがそうはなっていません。そしてその後ルマン2からはフランジも追加されて空気の窓が増やされました。より空気の循環を多くして、もしかしたらオゾン対策だけでなく放熱効果も期待したのかもしれません。デストリビューターもモトグッチの場合、上部カバーは雨などが入らないよう密閉されていますが裏側に通気口が開いています。

こういった自動車関連のオゾン対策はいつごろから始まったんでしょう? 古くは(の一例ですが)1960年代から販売が始まったSUZUKIフロンテではデストリビューターにエアクリーナーケースからパイプが繋げられ、エンジンの負圧によってデストリビューター内の空気を積極的に入れ替えようとしていたそうです。
同時代のモトグッチは単気筒・チェーンドライブのモデルが主流ですがコンタクトブレーカーが内蔵されている側のカバーも通気があります。さらにさらに、コンタクトブレーカーが独立してクランクケースの上に乗っていた戦前の単気筒モデルでさえコンタクトブレーカーのカバーにしっかり穴が開けられています。オゾンは1785年に発見され、早くからオゾン生成に電気(電子?)との因果にも目が向けられていたようですから、モトグッチの最初期のモデルに反映されているとしてもうなずけます。
 
ところでなぜオゾンがあってはいけないのか?
まずオゾンによる除菌・脱臭に話を戻します。どうしてオゾンに除菌・脱臭(漂白も)の効果があるのでしょう。前にオゾンはたやすく酸素分子O₂と酸素原子Oに分離すると書きましたが、この酸素原子Oが菌や匂いのもとを、同様に金属やゴムなども攻撃します。攻撃なんて言ってますが酸素原子Oに意思があるわけではないので、目標を定めてあれこれしているのではありません。オゾンから解き放たれた酸素原子Oがたまたまそこにあるものと反応しているということでしょう。酸化させているわけですね。
 
酸化によって細菌の細胞壁を破壊して死滅させたり、酸化によって匂いの成分を分解したり、モトグッチ関連では酸化によって金属を腐食してコンタクトブレーカーなど接点の導通不良を起こしたり、酸化によってゴムの結合を切断してタイヤ表面にクラックを生じさせるのです。

もう何年も前のことですが、あるタイヤメーカーのあるモデルでオゾンクラックとおぼしきトラブルが連発したことがありました。最初はおひとりのお客さまからクレームがあり、タイヤワックスが原因でクラックが生じることがあるのでその点をお客さまに確認しつつ、メーカーサイドとも相談のうえタイヤを交換させていただいたのですが、その後もちょくちょくクラックが発生したのでした。オゾンクラックだったのなら、もしかしたら通気の悪い場所に大型コンプレッサーかなにかと一緒に保管されていたのでしょうか。その後こちらのメーカーのタイヤは使わなくなってしまいました。クレームに対応はちゃんとしてくださったのですが、余分に幾度もタイヤ交換しなければならないのもどうかと思いまして・・・・・。

役にも立てば害も為すオゾンですが、濃度によって影響の度合いが違います。濃度が管理されたオゾン関連製品に危険はないことを一応最後に書かせていただきます。
 
 
massi

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ひょっとして脱税!?

モトグッチリパラーレでお預かりしたインジェクション車、いざ整備を始めてタンクを外してみると、外気温センサーあるいは吸気温センサーに施されたイタズラに気づくということがたま〜にあります。イタズラというのはECUに実際とは異なる気温情報を送り込むために気温センサーからECUへの配線上に後付けパーツをひとつ加えてあることなのですが、そのパーツの中身は恐らく抵抗(電気部品の)なのでしょう。
 
気温センサー(温度センサー)の正体はサーミスタという温度の変化に応じて抵抗値の変化が大きい抵抗体です。抵抗値によってECUに温度情報を伝えていて、どのような情報かというと、温度が上がると抵抗値は小さくなり、温度が下がると抵抗値が大きくなるのです。なので抵抗を増やしてやれば実際より低い気温だとECUに勘違いさせることができるのです。そうするとECUはそれに対応して燃料噴射時間を増やす、つまり燃調を濃くするのです。
 
このパーツを付けていたお客さまに経緯を伺ったら、アクセルオフ時のアフターファイヤー(パンパンと音がするサイレンサーなど排気系の中で起きる異常燃焼)が気になったから装着したということでした。たしかに環境性能をクリアするために近年のセッティングはリーン(薄め)に振っています。それを濃く(リッチに)すればアフターファイヤーは収まるかもしれません。それでも抜けの良すぎるサイレンサーを付けていたりすると、それでも収まらないこともありますが。


 
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上の図はモトグッチがエレクトリックフュエルインジェクション(EFI)を導入した当時のワークショップマニュアルに載っているイラストです。燃料噴射(図の表題でいうiniezione)と点火(同accensione)を制御する回路の様子で、モデルはカリフォルニアIIIです。カリフォルニアIIIにはキャブレターモデルとEFIモデルがありましたが当時の輸入元の判断でEFIモデルは日本に輸入されませんでした。(余談ですがこの頃のモトグッチは、新しいシステムを導入するときはいつもカリフォルニアに最初に採用させていました)そして図中、エアークリーナーボックスに取り付けられた吸気温センサーを矢印で示しました。まさにこの吸気温センサーとECUを結ぶ配線の途中に先に書いたパーツを割り込ませていたのです。それによって燃料噴射時間を増やして一率に燃調を濃くすることによってアフターファイヤーを防ごうとしているのです。
 
ただ・・・・・この燃調を濃くするということに、ど〜〜〜うにも腑に落ちない側面を感じていたのです。
継続検査、いわゆる車検を受けるたびに私たちが払っている自動車重量税は現在(2020年6月)、自家用小型二輪車の場合年額1900円と定められています。なので車検受検時に2年分の3800円を納付しなければなりません。ただし車齢を重ねていって新車登録から13年超・18年超と進むほどに増税されて最終的に年額2500円、つまり車検受検時には2年分の5000円の重量税を納付しなければならなくなりました。ただ、リパラーレのお客さまには20年30年と同一モトグッチに乗り続けていらっしゃる方が多く、そういう方は「もともと5000円だよ、普通じゃん?」と思われるでしょうが、平成24年度税制改正でそれまで全ての自家用小型二輪の継続検査時の重量税が5000円だったのを3800円に改正したうえで、新車登録から18年超の車齢になると「古いがゆえ」に「3800円から1200円分の増税(2年)」となっているのです。もともと二輪車の場合はエコカー減税の対象にはなっていない一方、18年超などの古い車両つまり環境性能の面でも古くて環境負荷が大きい車両は、エコカー減税同様の観点から増税対象になるということのようです。
 
アフターファイヤー解消のために細工をして燃料を増量したら、いわゆるクリーンな排出ガスの範疇を越える可能性があります。新しいモデルであるがゆえに、つまり環境性能が基準に達しているがゆえに古いモデルに比べて重量税が安いのにも関わらず、もし排出ガスがクリーンではなくなったらば、燃費が悪くなったらば・・・・・ならばそれは言い換えれば昔ながらに5000円の重量税を払っている立場からしたら「脱税に値する!?」のではないかとかねがね感じていたのです。いつの日かそういう主張を当ブログに書いてみようと思っていたのですが、私が3年前に作ったV65スクランブラーの土台としてオークションで入手した中古V65フロリダが、製造年1986〜1995年(昭和61〜平成7年)だったにも関わらずなんと重量税3800円だったのです。最も古く製造されたV65フロリダだったとしても平成24年度税制改正の前の非エコなモデルなのにです。
このV65フロリダは型式不明として登録されていたので、製造年不明ということからそのような処理がなされたのか?単純に日本国内での初年度登録が新しいからなのか?輸入は新車しかしたことがありませんのでそこはわかりませんが、結果として実際には現代のエコな基準はまず満たしていないであろうに重量税は最新のモデルと同等に認定されているのです。あれれ!?これでは他人のことは言えないではないか・・・・・と、少々筆が鈍っていたところなのでした。が、結局は書いていますが(笑)
 

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さてさて、実は自動車重量税はそもそも道路の建設や整備に充てる道路特定財源としてスタートしたのに目的とする道路整備も目途がついたからとなんにでも使える一般財源化して徴収し続けるのはけしからん!であるとか、そもそも自動車の重量に応じて道路の整備に充てるという性格の重量税なのに、すでにガソリン税も常日頃払っているにもかかわらず環境性能によって減税だの増税だのはそぐわないのではないかという様々な議論もあるようですが・・・・・
 
それは置いておいて(笑)
 
問題のパーツを付けるとECUがどのような勘違いをさせられるのか、実車を診断機に接続して調べたことがあります。表示された気温はなんと−15度!!そのときの室温は23度でした。38度ほどの差になります。上の図はモトグッチが採用してきた2タイプの気温センサーと、その温度と抵抗値の表です。もう暑くなってきましたので、38度程度の差をこの表をもとに、温度は室温が30度、診断機上が−10℃と仮定すると、抵抗値の差は16.599−2.417=14.182kΩになるので、14kΩの抵抗を気温センサーとECUの間に割り込ませるとECUは+30度を−10度と勘違って認識するということになります。
ただし表をご覧の通り温度が低くなるほど抵抗値の変化の度合いが大きくなるので、14kΩの抵抗を使えばどの気温からも40度低くなるわけではありません。またこのようなパーツをどれくらいの数のメーカーが作っているか知りませんのであくまでも一例です。ちなみに今まで見させていただいた範囲ではこのようなパーツをつけているとたいていプラグは焼けていないようです。では気温を40度も勘違いさせられると一体どれくらい燃料が増量される=濃くなるのでしょうか?
 
「PV=nRT」
これは理想気体の状態をあらわす方程式です。P(圧力)V(体積)=n(mol=分子数)R(気体定数=0.082)T(絶対温度K)となります。
 
いかにしてこの方程式が導き出されたか?、気体定数ってナニ?、等の細かい説明まではご勘弁願います(笑)この方程式で見ていただきたいのは、圧力と体積が一定ならば、分子数は温度に反比例するということです。これをエンジンの燃焼室内に置き換えると、吸入された混合気の状態(圧力と体積)が仮に一定ならば、そこに含まれる酸素量は気温に反比例する、つまり気温が高くなれば酸素量は減り低くなれば増えるということです。「冬は(酸素濃いから)ガス濃くしよう」みたいなライダーのやり取り(言いませんか?笑)の根拠がきっちり方程式であらわされているのです。
 
では計算してみましょう。まずここまで温度の単位を「度」とのみ書いていましたが、言うまでもなくこれは摂氏、記号は℃、セルシウス温度です。ですが上の方程式では絶対温度、記号はK(ケルビン)を使うので換算しなければなりません。0K=−273℃とします。すると先の仮定の温度を換算してみると室温30℃は303K、診断機測定値−10℃は263Kとなります。
なので気温を30℃から−10℃に勘違いさせるということは絶対温度で303Kを263Kに勘違いさせるということになります。つまり気温は263K÷303K=0.867倍に勘違いさせられたということであり、それに基づいて気温と酸素量が反比例するので酸素のほうは1÷0.867=1.153倍になったと判断されます。なので酸素量が増えたと勘違いさせられたECUはそれに応じて本来の設定から15.3%ほど噴射量を増やしてしまうのです。この計算のあたりは某自動車メーカーの開発の方のお知恵拝借しましたが、私の消化不良で説明に間違いもあるやもしれません。なにか重大な間違いにお気づきの方はどうぞご指摘ください!
なおこれはあくまでも理論上です。燃料噴射量は様々な情報を集めて計算されています。これはある仮定(室温等)にたって、気温以外の条件は全て同条件とするとこんな推計ができるかな〜、というものとご理解ください。


 
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それにしても、もしこのイタズラによって燃費が15%悪くなるとしたら、環境性能を達成すべく努力した開発者は涙がちょちょぎれることでしょう。先にプラグが焼けていなかったと書きましたがそれも無理ありません。燃調はさまざまな状況に合わせるべくマッピングされているのに、そこから全領域一律に濃くされているのですから。低負荷時もアイドリング時も無駄に濃くなっているわけです。それなりの走り方をしないと標準プラグが焼けるはずもありません。 
 
また排ガス規制車の場合、車検時には件のパーツを外しておけばガス検は通るという前提なのかもしれませんが、常時濃い状態で走っていたら吸気系〜排気系に残留ガスが残っていてガス検に合格できないことも想定できます。キャタライザーの劣化が早まって早期に交換しなければならなくなることも考えられます。ご用心ください。なおアフターファイヤーの発生はリーンだけでなくリッチな場合にもあり、抜けが良すぎる社外サイレンサーが原因の場合もあります。また、バルブクリアランスの不正や左右シリンダーの同調がとれていないことが原因の場合もあります。そのあたりもっとモトグッチに限らずメーカーサイドが啓発する必要もあるのかもしれませんね。
 
最後に、この稿を書いているうちに、ついでだからV65スクランブラーの排ガスをチェックしてみようかと思い立ちました。
こちら排ガス検査機にかけた様子です。
 
パイプをあてているのはプローブ(サイレンサーに差し込んでいるガス吸入ノズル)の入り方が浅かったのでサイレンサーエンドから2次エアーを吸わないようにしたものです。
測定結果はCOが4.7%ほどでHCが300ppm台、もう少しで車検時にガス検が義務付けられている平成11年規制のCO4.5%以下まであと一歩!、HC2000ppm以下のほうは軽々クリアしていました。1980年代のキャブセッティングです。検証が目的なので、もちろん数値を下げるためにキャブをいじったりはしていません。キャタライザー無しのキャブレター車ではなかなか良い数値だと思いませんか。V35イモラIIののち、30年ほど1000ccクラスのモトグッチのみ乗り続けてから近年久々にスモールツイン2バルブのV65に乗り、車体も軽いうえに小気味よく回るエンジンに改めて目からウロコと感じ入っていたところでしたが、燃焼室の形状など割と打算的に設計されたのかな〜と失礼ながら思っていたエンジン(V7シリーズで最近までこの設計は継承されました)が実は相当な環境性能を先取りしていたとはさらに驚きでした。
 
とはいえ、案の定私自身も重量税脱税?状態には変わりありませんでした・・・・・この話に進展(例えば、当局の摘発を受けてしまった)などありましたらまた書かせていただきます。
 
mas

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TEATRO LA GUZZI <6>

映画で出会えるモトグッチ 6(連載10回予定)
 
当劇場ではモトグッチが登場しているイタリア映画をご紹介しています。一部イタリアを舞台にした外国映画なども含まれています。画面をサッと横切るモトグッチを探して、イタリア映画を観てみませんか?
 
ざっとですが、以下のように分類してご紹介していこうと思います
 
---------------------------------------------
 
グルッポ アー (Gruppo A)主人公とからんでいるか、登場時間が多い
 
グルッポ ビ (Gruppo B)短いがそれなりにしっかりと写っている
 
グルッポ チ (Gruppo C)ほんの一瞬だけ
 
アルトリ(Altri)その他番外
 
あくまでモトグッチを中心にご紹介していきますので、イタリア映画論みたいな内容には期待しないでくださいませ!!なお、たぶんに個人的感想に基づくものであること、また若干のネタバレが含まれることをご理解くださいませ!! massi


 
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新宿駅の新しいバスターミナル「バスタ」のニュースから・・・・・
でも、上の画像は警官が来て「バスタ!!」と叫んでいるわけではありません。これから始まるモトグッチ・パレードの警備に来てくれているのでした。



★グルッポアーから、「ああ、もうやめて!」

 
「ミニミニ大作戦」 (The Italian job) 1969英
        ASIN: B000EWBUO4
        EAN: 4988113756525

監督 ピーター・コリンソン
出演 マイケル・ケイン、ノエル・カワード

新宿駅に新しくできたバスターミナル「バスタ」がテレビで連呼されて思いついたテーマ「バスタ」ですが、これはイタリア語でbastare(=充分である)という言葉を元にした「バスタ!」「もうけっこう!」「やめて!」という意味でよく使われる言葉なのです。
 

ミニミニ大作戦(近年公開された新作ではありません)において、あまりにもモトグッチやフィアットが無残にやっつけられるので「バスタ!」「もうやめて!」のメッセージをこめて・・・・・
 
イギリスの組織がフィアット社に運び込まれる金を奪うため、トリノの街を大混乱に陥れる。イタリア車が次々とやられていく点では不満な映画。またオープニングのつづら折れの峠道を見ると、北イタリア製の車が足腰をしっかり造られてきたわけがわかるような気がする。

フィアット社の金輸送隊を守る白バイは交通警察のファルコーネ・ツーリズモ。階段を駆け下り、ジャンプし、スライデイングし、と様々なアクションシーンを演じてくれる。ただしコテンパンに負ける側だが。
 
 
★グルッポビーからは、「かんべんして!」


 
「黒い法廷」 (Corruzione al Palazzo di giustzia) 1972伊
 

監督 マルチェッロ・アリプランディ
出演 フランコ・ネロ、フェルナンド・レイ、ウンベルト・オルシーニ
 
検察や政界に食い込む悪に翻弄される判事達を描いている。冒頭、V7ポリッツィアが登場する。また途中、チンピラ二人組が乗っているチョッパーのベース車両はなんだろう?
 
カルロ・グッチ設計のハイドロリック・サス(液圧=油圧サス)装着モデルで、これは1947年からの採用。さらに赤が基調のやや丸いタンクは1952年頃からの採用。候補にはアイローネ・アストーレ・ファルコーネなどの1952年以降のバージョンが挙がるが、ひどくカスタムされているので(かんべんして!!!笑)、これ以上の判別は不明。この映画の製作年から考えれば、最も遅く1967年まで製造されたファルコーネと考えるのが妥当ではなかろうか。
 
 
★グルッポチからは、「もうたくさんだ・・・」


「アパッショナート」 (Senza Pelle) 1994伊
 
          ASIN: B000657P9S
          EAN: 4988003968137
 

監督 アレッサンドロ・ダ・アラトーリ
出演 キム・ロッシ・スチュアート、アンナ・ガリエナ
 
神経障害を持つ繊細な青年サヴェリオ(キム・ロッシ)が人妻ジーナ(アンナ・ガリエナ)に片思いを寄せる。双方の家族を巻き込んだ苦悩を描く。サヴェリオの報われない愛を見ているとどうしても「もうたくさん・・・・・」気持ちが重くなっていってしまう。
 
映画後半、2人が歩くローマの街角。交差点に置かれている青のモンツァだ。
 
 
 
mas

TEATRO LA GUZZI <5>

映画で出会えるモトグッチ 5(連載10回予定)
 
当劇場ではモトグッチが登場しているイタリア映画をご紹介しています。一部イタリアを舞台にした外国映画なども含まれています。画面をサッと横切るモトグッチを探して、イタリア映画を観てみませんか?
 
ざっとですが、以下のように分類してご紹介していこうと思います
 
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グルッポ アー (Gruppo A)主人公とからんでいるか、登場時間が多い
 
グルッポ ビ (Gruppo B)短いがそれなりにしっかりと写っている
 
グルッポ チ (Gruppo C)ほんの一瞬だけ
 
アルトリ(Altri)その他番外
 
あくまでモトグッチを中心にご紹介していきますので、イタリア映画論みたいな内容には期待しないでくださいませ!!なお、たぶんに個人的感想に基づくものであること、また若干のネタバレが含まれることをご理解くださいませ!! massi


 
 
 
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今回はアメリカ映画から3作
だからと言って画像はハーレーなわけではありません 

★グルッポアーから、映画史上モトグッチ最長最大出演!?
 
「ダーティーハリー2」 (Magnum Force) 1973米
     ASIN: B003EVW5K0
     EAN: 4988135806345

監督 テッド・ポスト
出演 クリント・イーストウッド、デヴィッド・ソウル
 
イタリア映画ではなく、ましてや舞台はサンフランシスコだが、この映画を外すことはできない。恐らくこれほど大写しでモトグッチが登場する映画はなかなか無いのではなかろうか。
 
サンフランシスコで悪者達が次々と何者かに殺される。ハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)は射撃の腕のたつ4人の新任警官に目を付けるのだが、彼らが乗る白バイがV7スペシャルなのだ。まさにスクリーン狭しと走り回るが、映画序盤の大アップも見もの。
 
 
 
 
★グルッポビーからは、

「ラッシュ・アワー」 (Rush Hour) 1998米
    ASIN: B00005GDUP
    EAN: 4988104013811

監督 ブレット・ラトナー
出演 ジャッキー・チェン、クリス・タッカー
 
ロサンゼルスの中国領事に呼び出された捜査官(ジャッキー・チェン)と地元の刑事(クリス・タッカー)がチームを組む。

序盤ロサンゼルスの市街地で、逃げるジャッキー・チェンを追いかけるクリス・タッカーが、通りがかりのスポルト1100インジェクションに乗る。排気音に違う音をあてているような気がするのだが、どうでしょう?
 
 
 
 
★アルトリから、

「007/ダイヤモンドは永遠に」(Diamonds are Forever) 1971米
    ASIN: B000S5K4OE
    EAN: 4988142569325


監督 ガイ・ハミルトン
出演 ショーン・コネリー

ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に戻った第7作。ダイヤの謎を追って運び屋になりすまし、アメリカへ渡る。
 
ショーン・コネリー扮するジェームズ・ボンドがV7に跨っている写真はモトグッチ社にも飾られていたし、さまざまな書籍にも載っていて有名だが、残念ながらわたしが見た限りでは作品中にはV7が登場していないようだ。ノーカット版のようなものが存在するのだろうか?
 
何故映画登場が不明確ながらここで紹介するかというと、とある海外書籍の写真にこんな文章が付けてあったからだ。
 
「最近のボンドはBMWに乗っているらしいが、真のボンド(ショーン・コネリー)はモトグッチに乗っているのさ」
 
 
 
mas

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TEATRO LA GUZZI <4>

映画で出会えるモトグッチ 4(連載10回予定)
 
当劇場ではモトグッチが登場しているイタリア映画をご紹介しています。一部イタリアを舞台にした外国映画なども含まれています。画面をサッと横切るモトグッチを探して、イタリア映画を観てみませんか?
 
ざっとですが、以下のように分類してご紹介していこうと思います
 
---------------------------------------------
 
グルッポ アー (Gruppo A)主人公とからんでいるか、登場時間が多い
 
グルッポ ビ (Gruppo B)短いがそれなりにしっかりと写っている
 
グルッポ チ (Gruppo C)ほんの一瞬だけ
 
アルトリ(Altri)その他番外
 
あくまでモトグッチを中心にご紹介していきますので、イタリア映画論みたいな内容には期待しないでくださいませ!!なお、たぶんに個人的感想に基づくものであること、また若干のネタバレが含まれることをご理解くださいませ!! massi


 
 
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★グルッポアーから、愛する二人を切なく描く

「ミラノの恋人」 (DELITTO D'AMORE) 1974伊
     ASIN: B00005FBL3

監督 ルイジ・コメンチーニ
出演 ジュリアーノ・ジェンマ、ステファーニア・サンドレッリ

シチリアから家族でミラノに移住しているカルメッラ(ステファーニャ・サンドレッリ)が、勤務先の工場でヌッロ(ジュリアーノ・ジェンマ)と出会う。南北の貞操感の違いも乗り越えて二人は婚約するが、鋳造部門にいたカルメッラは病に倒れる。

ヌッロの愛車は125ccのストルネッロ スポルト アメリカだ。
通勤に、二人乗りのデートにと、それはもう頻繁に登場する。アメリカというだけあって、幅広過ぎの感があるアップハンドルを装備している。
 
 
 
 
★グルッポビーからは、切ない片思いの・・・

「白夜」 (Le Notti Bianche) 1957伊
    ASIN: B000CEVWOC
    EAN: 4523215006828

監督 ルキーノ・ヴィスコンテイ
出演 マリア・シェル、マルチェッロ・マストロヤンニ

夜の街で、マリオ(マルチェッロ・マストロヤンニ)はナターリア(マリア・シェル)と出会う。マリオはナターリアに想いをよせるが、彼女はある男の帰りを毎夜待っていた。ドフトエフスキーの白夜が原作。不思議な街のムードに引き込まれる。

ナターリアにからんで来るのはバイクに2人乗りの青年だ。フロントフォーク・テールレンズ・オイルタンクなどからアイローネかファルコーネかと思われる。タンクマークを布で隠しているのは監督の意図からか???
ちなみに動きは軽快だ。
 
 
 
 
★グルッポチからは、切ない・・・勘違い

「狂ったバカンス」 (La voglia matta) 1962伊
     ASIN: B00Z0B4924
     EAN: 4944285800527


監督 ルチアーノ・サルーチェ
出演 カトリーヌ・スパーク、ウーゴ・トニャッツイ

40歳目前の技師アントニオ(ウーゴ・トニャッツイ)が、16歳のフランチェスカ(カトリーヌ・スパーク)に魅せられて、彼ら若者たちにからかわれ翻弄されてしまう。

アントニオが間の悪さやフランチェスカのいたずらのせいで、再度にわたって交通違反で検挙されてしまう。交通警官が乗っているのは、ファルコーネか?と言いたいところだが、フロントフォーク・リアフェンダーなどの雰囲気を見るとむしろロドラなど小排気量車に似ていて不明。他社製なのかも知れない。
 
 
 
 
★アルトリから、切ない、といえば

「道」 (La strada) 1954伊
    ASIN: B0000635SE
    EAN: 4933672226095


監督 フェデリコ・フェリーニ
出演 ジュリエッタ・マシーナ、アンソニー・クイン

フェリーニの名作。繊細で純真な少女ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)と大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)の旅を描いた悲しい物語。2人が各地を回るのに使うのはエルコーレのような荷台付きバイクではあるが、残念ながら直立単気筒である。途中ザンパノが「アメリカ製だ」と説明している。


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TEATRO LA GUZZI <3>

映画で出会えるモトグッチ 3(連載10回予定)
 
当劇場ではモトグッチが登場しているイタリア映画をご紹介しています。一部イタリアを舞台にした外国映画なども含まれています。画面をサッと横切るモトグッチを探して、イタリア映画を観てみませんか?
 
ざっとですが、以下のように分類してご紹介していこうと思います
 
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グルッポ アー (Gruppo A)主人公とからんでいるか、登場時間が多い
 
グルッポ ビ (Gruppo B)短いがそれなりにしっかりと写っている
 
グルッポ チ (Gruppo C)ほんの一瞬だけ
 
アルトリ(Altri)その他番外
 
あくまでモトグッチを中心にご紹介していきますので、イタリア映画論みたいな内容には期待しないでくださいませ!!なお、たぶんに個人的感想に基づくものであること、また若干のネタバレが含まれることをご理解くださいませ!! 

massi
 
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★グルッポアーから、イタリア映画でもなくイタリアが舞台でもないが軍用アルチェがしっかり映っているので

「コレリ大尉のマンドリン」 (Captain Corelli's Mandolin) 2001
   ASIN: B000063TJE
   EAN: 4959241930965
 
監督 ジョン・マッデン
出演 ニコラス・ケイジ、ペネロペ・クルス

第二次大戦下の1940年、ギリシアのケファロニア島を独・伊軍が占領した。音楽を愛するアントニオ・コレッリ大尉(ニコラス・ケイジ)は島の娘ペラギア(ペネロペ・クルス)との恋に落ちるが、イタリアは連合国側に降伏してしまう。
 
島に不穏な空気が流れ、コレッリがペラギアの元へモトグッチで向かう。乗っているのはアルチェと見て間違いない。1939年からの生産なので、すぐに配備された車輌、という設定になるのであろうか。シングルサイレンサーの車体だが、バリエーションは特定しきれない。因みにニコラス・ケイジは作中、ニュートラルを出せずエンストさせてしまった。ダサイ。
 
 
 
 
★グルッポビーからも、アルチェ

「夜ごとの夢/イタリア幻想譚」 (La domenica specialmente) 1991伊
  ASIN: B00005FU35
 
監督 G・トルナトーレ、G・ベルトルッチ、M・T・ジョルダーナ
出演 ジャン・ユーグ・アングラード、フィリップ・ノワレ、ブルーノ・ガンツ

3監督によるオムニバス。「青い犬」「特別な日曜日」「炎の雪」からなる。

3作品の前後に挿入されたエピソード「小鳥と男」で、戦没者墓地にやって来る男(ジャン・ユーグ・アングラード)が乗っているのは、エキパイの向きなどからアルチェの2人乗りバージョンであろう。無骨なタンデム用ステップも見える。
 
 
 
 
★グルッポチからも、スーペルアルチェ

「フィオリーレ 花月の伝説」 (Fiorile) 1993伊仏独
   ASIN: B000FIHD7K
   EAN: 4571169961038
   
監督 パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ
出演 クラウデイオ・ビガーリ、ガラテア・ランツイ

その昔ナポレオン軍の軍資金を盗んだトスカーナのとある一族。大富豪になったが、数々の不幸に見舞われて呪われた一族と呼ばれるようになる。

戦時中反ファシスト運動で捕まり、丘の上に連れてこられたフィレンツエ大学の学生達。そこへ伝令がやって来る。左側に斜めに跳ね上がったサイレンサーは、時期に多少のずれがあるがスーペルアルチェだろうか。バタバタとした排気音。
 
 
 
 
★アルトリからは、1950年代前半から、モトグッチらしき姿がチラリと映る3作品を

「2ペンスの希望」(Due soldi di speranza)1951伊
「パンと恋と夢」(Pane,amore e fantasia)1953伊
「街の恋」(L'amore in citta)1953伊

 
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TEATRO LA GUZZI <2>

映画で出会えるモトグッチ 2(連載10回予定)
 
当劇場ではモトグッチが登場しているイタリア映画をご紹介しています。一部イタリアを舞台にした外国映画なども含まれています。画面をサッと横切るモトグッチを探して、イタリア映画を観てみませんか?
 
ざっとですが、以下のように分類してご紹介していこうと思います
 
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グルッポ アー (Gruppo A)主人公とからんでいるか、登場時間が多い
 
グルッポ ビ (Gruppo B)短いがそれなりにしっかりと写っている
 
グルッポ チ (Gruppo C)ほんの一瞬だけ
 
アルトリ(Altri)その他番外
 
あくまでモトグッチを中心にご紹介していきますので、イタリア映画論みたいな内容には期待しないでくださいませ!!なお、たぶんに個人的感想に基づくものであること、また若干のネタバレが含まれることをご理解くださいませ!! massi
 
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★グルッポアーから、50年前のローマを走るモトグッチ

「マンマ・ローマ」 (Mamma Roma) 1962伊
   ASIN: B00005HXWQ
   EAN: 4510242162375

監督 ピエール・パオロ・パゾリーニ
出演 アンナ・マニャーニ、エットーレ・ガロファーロ

マンマ・ローマと呼ばれる娼婦(アンナ・マニャーニ)は足を洗い、離れていた息子のエットーレ(エットーレ・ガロファーロ)と暮らし始める。二人でまともな生活をしようとするが、以前のヒモが再び現れる。

バラックの古道具屋街に置かれる110ccのトラック、アイアーチェにジゴロらしき姿など。タンクやホイールやスクーターに自転車も並ぶ。マンマ・ローマがエットーレに買い与え、二人乗りで走るのはジレラの150ジウビレオ。不良仲間はストルネッロに乗っている。
 
 
 
 
★グルッポビーからも、40年前のローマを・・・

「フェリーニのローマ」 (Roma) 1972伊
   ASIN: B0011GIELE
   EAN: 4988142633729

監督 フェデリコ・フェリーニ
出演 フェデリコ・フェリーニ

フェリーニの想い出のローマを少年時代の回想から現在(1972製作当時)の撮影風景まで、断片的なシーンをつなぎ合わせて描いている。

高速道路を撮影中に事故現場に差しかかると、V7ポリッツィアが登場する。他にシエナ広場の場面でファルコーネ。ラストシーンでは、深夜のローマを数十台のバイクが数々の名所を縫って疾走する。その殆どが並列2気筒・4気筒。首の白いマフラーが時代を物語る?
 
 
 
 
★グルッポチも、ローマが舞台

「アッカトーネ」 (Accattone) 1961伊
   ASIN: B00005HXWR
   EAN: 4510242162382

監督 ピエール・パオロ・パゾリーニ
出演 フランコ・チッティ、フランカ・パスット

ローマ郊外でヒモをしているアッカトーネ(乞食)(フランコ・チッティ)。ウブなステッラ(フランカ・パスット)に恋して真面目に働こうとするが・・・・。

鉄くずを運ぶモトキャリー。男3人に鉄くずも運ぶパワーは500ccのエルコーレのバリエーションモデルではなかろうか? 警察に捕まりそうになったアッカトーネは、4スト単気筒車を盗んで逃走する。
 
 
 
 
★アルトリからも、題材からして舞台はローマだと思うのですが

「ベリッシマ」 (Bellissima) 1951伊
   ASIN: B000CEVWNS
   EAN: 4523215006811

監督 ルキーノ・ヴィスコンティー
出演 アンナ・マニャーニ、ヴァルテル・キアーリ

映画の子役オーデイションに何とか自分の娘を受からせようと、マッダレーナ(アンナ・マニャーニ)が奔走奮闘する。あげくにコネで娘を有利にしようと家の購入資金の50000リラまで撮影所関係者のアンノヴァッツィ(ヴァルテル・キアーリ)に渡してしまう。が彼はそれを騙し取ってランブレッタを買ってしまう。アンナ・マニャーニの迫力おばさんっぷりは見事。
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